セッション19

消費税が8%から10% へと変わった。

まさにその端境期に出版された本だった。平成から令和へ変わっただけでも気持ちが大変なのに本当に激動の1年であるが、後によい記念となって思い出す本となるかもしれない。

彼岸の図書館: ぼくたちの「移住」のかたち

彼岸の図書館: ぼくたちの「移住」のかたち

 

 出版前から、ちらちらと気になっていた本だが、消費増税前に版元に注文するとお得だったので、予約注文しておいた。

届いたそれは、本の装丁が好みで、早く読みたいとわくわくした。

カバーをめくると、また別のいきものがいる。掌へのなじみ方も、遊び紙のグリーンもすごくいい感じ。

内容としては、仕事に疲れ「命からがら」奈良県東吉野村に移住した夫婦(夫は研究者、妻は司書)が、家を開放した私設図書館「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開いた。その「実験」について書かれた本である。

 しかし、著者は「移住」ではなく、あくまで「引っ越し」の感覚だといっている。

引っ越しと呼ばずに「移住」と呼ぶというのは、やっぱりそこに特別な意味があるから。特別な意味を与えているのは、「地方創生」を掲げる国をはじめとする行政側なのかもしれないし、「移住」にあこがれている一般の人たちなのかもしれない。(p.65)

自分も、「移住」という言葉に、つねづね違和感があった。

「引っ越し」よりも重みを感じてしまうのだ。かといって、「引っ越し」もその場限りな意味合いのような気がして、しっくりこない。

 

3.11東日本大震災の以前と以後で、「地方移住」の意味合いが変わってきているという指摘は興味深かった。

『災害ユートピア』の回でも言及したことだが、すでに災害を知ってしまった者たちは、以前の知らなかった頃には戻れない、ということは実感としてある。

 

mi-na-mo.hatenadiary.jp

 

 

「田舎には文化拠点がない」(p.23)という思いから、図書館と寺子屋と研究所、3つを兼ね備えた施設を作りたいと考えた著者ら。

この、田舎の文化拠点のなさを具体的にあげていくと、しまいには吉幾三俺ら東京さ行ぐだ」になってしまうのだが、そうしたことを憂えるだけでなく、実現していることはすごいと思う。

 

友達というと、少年時代から青春時代に、恋敵になったりやんちゃをしたりといろんなことを経験して、揺るがない友情の深みを共有している相手、というのももちろんぼくは信じているけれど、ひょんなことで出会って、「あ、こいつなんだかおもしろそう」とか「自分と近い匂いがする」とか「好きかも」っていう説明不能な相手もいるじゃないですか。世界を旅していると、初対面なのに昔から知っているように懐かしく感じる人に出会うことがよくある。そして、そういう人たちとは、決してしょっちゅう会っていなくてもいいというか。(p.91)

これには完全に同意する。

初対面で「これは仲良くなれる人」と妙に確信を持てるときがあって、相棒についても、多分そうだったんじゃないかなと思っている。

 

本書の中で、文化とは何かとか、さまざまな話題が出てくるが、肝心の私設図書館についてはあまり言及されていない。

ルチャ・リブロの利用にあたっては細々とした規則があります。けれど、そういう規則は「今、ここは図書館ですよ」というギミックを彩るための小道具に過ぎないのかもしれません。(p.111)

ここは図書館であるという<ギミック>。

この言葉で、 「つかめない」と感じたこの私設図書館のことが分かったように思う。

結局は、実験の場であり、閉じられた場所であるのだ。

 

本書のまた別のところで、司馬遼太郎の『アメリカ素描』での一節をとりあげ、「文明はモダニズムのように国境を越えていくけれども、文化はその場所場所で発酵されるものである」と解説されていた。

文化を発酵していく場は、できるだけ多くあってほしい。図書館、カフェ、書店、映画館・・・。

 

そして、本書で最も心に残った個所としては、「通りすがる」ことの意味である。(p.41)

誰も通りすがらなくなったことで、商店街が消滅した、という考え方に、はっとした。

 

そうか、自分は誰かに、本のある場所を通りすがってもらいたいんだ。

 

この本は、読む前の期待の方が高かった本だ。

しかし、自分のやりたいことをあぶりだしてくれたという意味で、やはり読んでよかったと思っている。