セッション16

 物心ついたときからずっと、図書館で夢を見てきたし、図書館に夢を見ていた。

 

自分の図書館の原体験は神奈川県の海辺の町である。

親が図書館に熱心に通う人だったので、2つの町の図書館を行き来していて、休みの日には必ず連れて行ってもらっていた。

そのうち一つは通っていた小学校の裏手にあり、グラウンドの周りの金網の破れたところから近道をして寄っていたこともある。

6歳下のきょうだいが生まれるとき、母は小学校の向かいにある産院に入院していた。学校の帰りに金網をくぐって図書館に寄り、本を借りて、会社帰りの父が迎えに来るまで産院の母の隣りで過ごしていた。

蔵書はそれほど多くなく、本も建物も古い図書館だったが、一般の閲覧室と子ども用の閲覧室を隔てて真ん中にカウンターがあり、カウンターの横に西部劇の酒場のような押すと両側に開く扉があって、家族を探しに行くときにそこを行き来するのがとても好きだったのを覚えている。

(ちなみに、長嶋有の『ぼくは落ち着きがない』という高校の図書部を題材にした小説があるが、その図書館にもこの「西部劇」扉は出てくる)

今回の課題本は、読んでいるうちにそんなことが次々と思い出されてくるような本だった。

夢見る帝国図書館

夢見る帝国図書館

 

図書館、特に公共図書館との付き合いは長い。

そういうわけで多少なりとも図書館に一家言あるのだが、この作品の著者はとてもよく図書館を理解していると感じた(偉そう)。

図書館の実情というよりは、図書館のスピリットについての理解とでもいおうか。

この物語の語り手は「物書き」の女性だが、実際の主人公は上野で出会った女性・喜和子さんと、上野の「帝国図書館」だ。

「ふん」

と彼女は鼻から音を出した。

「きれいになって、なんだか入りにくくなっちゃった」

「リニューアル前に行ってたんですか?」

「そうよ。あたしなんか、半分住んでたみたいなものなんですから」

急に丁寧語を使って威張るように鼻を上に向けた。(p.8-9)

「半分住んでいる」ような心持で、図書館に通う人たち。

不思議なもので、働いていると「住んでいる」とは思えないような気がする。

利用者として通っている方が「住んでいる」みたいな気持ちになるのではないか。

「喜和子さん、ほんとに本が好きなんですね」

「うん。読むっていうよりねえ、囲まれると安心するのよ」(p.17)

喜和子さんの図書館に対する発言には身に覚えのあることばかりで思わずニヤリとしてしまう。私もそうです、と手を挙げて言いたくなる。

あまり書くといわゆる「ネタバレ」になりそうだが、この作品は喜和子さんが生きる現代と作中物語である「夢見る帝国図書館」の部分が交互にリレーしていく構成になっている。

「夢見る帝国図書館」の部分には上野の図書館の歴史が書かれており、これがまた面白い。

「お金がない。お金がもらえない。書棚が買えない。蔵書が置けない。図書館の歴史はね、金欠の歴史と言っても過言ではないわね」(p.39)

笑ってはいけないが、思わず苦笑してしまう部分である。

100年が経っても、図書館の人たちは同じことを言って憂えている気がする。

図書館は、食べ盛りの男の子が食い物を欲しがるがごとく、常に書庫を欲しがる。(p.83)

ここも、うまい。擬人化の妙。

 

「夢見る~」パートで登場する当時の文豪たちや「理想の図書館づくり」に奔走する図書館関係者のエピソードは、多少コミカルに描かれてはいるものの、図書館の持つ様々な機能や役割を多角的に理解することを助けている。

文豪たちが憧れ、日参し、使い倒した図書館の様子を思い浮かべるのは楽しい。

「ハコもの」と言われようと図書館はやはり建物も大切なのだとも思う。

そうした人々を見守るように、図書館が擬人化されて描かれていることも、文字通り図書館が主人公となっているようでとても面白い。

戦争は各地で様々なものを惜しみなく奪う。

帝国図書館は、図書館なので、書物を奪った。(p.303)

この物語で時折みられる、簡潔でいて核心をつく文章がとても好きだ。

戦争は惜しみなく奪う。そうだ、と思わされる。

かわいそうなぞう」という絵本にもなった戦中の動物園の「猛獣処分」のエピソードも、ゾウのジョンの口を借りて、本当に恐ろしい戦争の空気を伝えている。

「いいかい、花子。奴らが俺たちを殺すのは、俺たちが危険だからじゃない。奴らが戦争をしたいからだ。戦争をする心を子どもたちに植え付けるためなんだよ」(p.321)

「よく分からない」というゾウの仲間の花子に対して、ジョンが放つ一言は今の我々にも無関係とは思えず、痛いところにぐっさりと刺さる。

 

こう書くと歴史的な記載ばかりのようだが、そうではない。語り手である「わたし」と喜和子さんの生きる時代の時間軸も進んでいく。謎解きの要素もあるので、情報量が多くてもずんずん読み進めることができる。

謎が解けた最後のエンディングの部分は「図書館で夢を見ていた」ものとして、思わず涙ぐんでしまった。

図書館との距離は以前ほど近くないけれど、図書館という存在に夢を見たい気持ちはまだある。 今度上野に行くことがあれば、喜和子さんのように古の図書館を思いながら、界隈を散策してみたい。

これからの図書館の夢を見ながら。

できれば、気の置けない誰かにその夢を語りながら。

 

セッション15

 良く知っているようで知らないということは、この世の中にまだたくさんある。

われ思う、ゆえにわれあり

これはデカルトの大変に有名な一節だ。しかしこれだって、どのような文脈の中で使われていたのか知らなかった。これまで本編を読んだことがなかったから。

読もうと思ったきっかけは、本を入れて贈るというコンセプトの紙袋である。

先人の名言がプリントされているシリーズで、その中のひとつがデカルトの言葉だった。 

良き書物を読むことは

過去の最も優れた人達と

会話をかわすようなものである

(ルネ・デカルト

この一文は何に載っていたんだろう、とウェブ上で検索してみたら『方法序説』だということが分かり、読んでみることにした。

デカルトがこの本を書いたといわれる年齢が自分と近かったということもある。

およそ300年以上も隔てた過去の人とどんな会話ができるだろうか。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

大きな魂ほど、最大の美徳とともに、最大の悪徳をも産み出す力がある。また、きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。(p.8)

冒頭からどきっとさせられた。

哲学者たちは、いつもきっぱりと言い切っている気がする。

本書の著者デカルトについて言えば、なんとまあ自信満々な、という印象も受ける。

自分は、まっすぐな道をたどることなどできたためしがない。

実際に方向音痴であるけれど、思考においても生きかたにおいても走っているつもりながら往々にして道をそれてしまう。いつも回り道だ。どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと、ではあるが。 

すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。(p.13)

件の一節が出てきたが、続く文を読んでみて、おや、と思った。

デカルトは、過去の人びとと交わることは旅をするようなものであるが、旅にあまりに多くの時間を費やすと、自分の国で異邦人になるし、過去のことに興味を持ちすぎると、現在行われていることについて「ひどく」無知なままになってしまうと言っている。

旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならないし、まして一ヵ所にとどまっていてもいけない。いつも同じ方角に向かってできるだけまっすぐ歩き、たとえ最初おそらくただ偶然にこの方角を選ぼうと決めたとしても、たいした理由もなしにその方向を変えてはならない。というのは、このやり方で、望むところへ正確には行き着かなくても、とにかく最後にはどこかへ行き着くだろうし、そのほうが森の中にいるよりはたぶんましだろうからだ。

≪中略≫

そしてこれ以来わたしはこの格率によって、あの弱く動かされやすい精神の持ち主、すなわち、良いと思ってやってしまったことを後になって悪かったとする人たちの、良心をいつもかき乱す後悔と良心の不安のすべてから、解放されたのである。(p.37)

最近になって、ここで言われていることの境地が分かってきた気がする。最善なルートを行くことよりも、「ともかく最後にはどこかへ行き着く」ことを第一義としていれば、不安や後悔はそんなに感じない。

哲学を学ぶ。

そのことをもっと身近なものにできたらいい。

むかしむかしの賢い人たちが、何を思い、どのように生き、何を伝えていったのか。

300年もの前の人と会話する、そのことが「読書」という行為によって、さりげなく自然に行われていることがすごい。 

 

ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純な事柄でさえ、推論をまちがえて誤謬推理をおかす人がいるのだから、またしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべての偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する[ワレ惟ウ、故ニワレ在リ]」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。(p.46)

 

私は考える。故に存在する。

考えるためには、存在しなければならない。

 

何が「真」であるのか、そのことを考えようとするほど、よく分からなくなってくる。

ただ、「私」ということ、「考える」ということは、そのことと密接につながっているということは分かる。

 

「私」とは、なんなのだろう。

そう考えたとき思い出した絵本があった。

www.fukuinkan.co.jp

 

 長新太は、大人になってから知った絵本作家である。

子供のころに与えられた絵本、自分で選ぶ絵本の中には、長新太作品はなかった。元同僚におもしろいですよと教えてもらって知った。教えてもらわなければ、知ることがなかったか、知るのがもっと後になっていたと思う。

テキストは谷川俊太郎。相手が変わると「わたし」の呼び方もまた変わることを分かりやすく表現している。

デカルトにしても、谷川俊太郎にしても、「わたし」ということの見方を変えることで

大きく世界が変わるという点では同じだ。

人は生きている限り、自分とは何かとか、どのように生きるのが正しいのかを追い求めようとする。

ある人と会話しているときに、別の誰かとの会話の断片を思い出したりすることがあるが、読書においてもたびたびそういうことがあって、そうした時にとても嬉しくなるのだ。ああ、あの人とも話したんだった。というような。

 

デカルトの書いた本書を読んで思うのは、終始自分に対してポジティブだということ。あまりに自信がある風なので笑ってしまうくらいだ。

しかも遠慮なく言えば、わたしの計画を終局まで完全になし遂げるには、あと二つ三つの同じような戦いに勝利を収めさえすればよいと考えているし、わたしはそれほど年をとってもいないから(この時四十一歳)、自然の普通の流れからゆけば、これを実現するためにまだ十分な時間的余裕を持つことができる。しかしわたしは、残された時間をうまく使えるようにという希望が強いだけに、いよいよそれを無駄なく使わなければならないと思う。(p.89)

自分自身はもう時間があまりないなあと思っていたりするのだけど、この時代は今より寿命が短かったはずなのに「まだ時間的余裕を持つことができる」と言えるなんて。

「あと二つ三つ勝てばいける」って、豪語できることがすごい。

 

残された時間をうまく使いたい。

どうしても寄り道が多くなるので、無駄なく、というのは自分には少し無理そうだけれど、それでも努力をしていかねばなあと思う。

 

考えるということで自分は在る。

さまざまな人と話すことで自分は多義的な存在となり得る。

 

過去の人とも今の人とも、自在に対話できる本というものは、やはり面白い。

 

 

セッション14

西荻窪というまちが好きである。

住んだことはないが、大人になってから通うようになった。

現在は本屋や古道具屋、雑貨店、ベーグル専門店に美味しいことで有名な食事処など、歩いて回りやすい範囲に魅力的なお店が点在していて人気のスポットになっている。

そこに至るまでの、普通の商店街だった時代も知っているし、今や人気店となったお店が規模が小さかったことや、駅から少し離れた場所にあった時代も知っている。自分の成長とともに変わっていき、賑わいがうまれていく様子を見てきたという意味でも思い入れのあるまちだ。

 

9回目のセッションで、堀部篤史氏の『90年代のことー僕の修業時代』について取り上げた。

mi-na-mo.hatenadiary.jp

 その時に触れた島田潤一郎氏のエッセイ「九〇年代の若者たち」が他の雑誌寄稿文などとともに一冊の本にまとめられ、『90年代の若者たち』として夏葉社のインディーズレーベル「岬書店」から発行された。(本のタイトルは「90年代」と英数字表記、収録されている表題作のタイトル表記は前のまま「九〇年代」と漢数字表記となっている。)この本が今回の課題本である。

刊行されてまもなく、ちょうど西荻窪に行く用があったので、取り扱っている雑貨店FALLで入手した。そこで夏葉社関連本2冊以上購入すると、島田氏の所有していた90年代のCDが特典としてプレゼントされるという。もともと買うつもりだった本が2冊以上あったので、その特典の恩恵にあずかったが、くじを引いて当たったのはシェリル・クロウのデビューアルバムだった。 

チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ

チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ

 

通常新しいCDを購入すると、背を覆うように帯のようなものがついてパッキングされている。

その帯的なもの(なんというのか知らない)、開封後は結構邪魔なのだが、文庫本における背表紙の解説的なものが書かれていることがあることもあってなかなか捨てられない。ケースを開けたつまみの部分に挟んで保存したりするのだが、このCDについてもそのようになっていた。とてもきれいな保存状態だ。

その帯的なものによると、シェリル・クロウは90年代当時「70年代のロックの香り漂う女性ロッカー」という売り文句だったらしい。

90年代なのに70年代に逆行?いや、これこそが90年代っぽいのかも。

 

seikosha.stores.jp

さて、課題本についていえば、読んでいる最中は次々と出てくる固有名詞に忘れていた記憶がよみがえり、感情が波のように押し寄せてくるということの繰り返し。テレビ番組やCDアルバムや漫画について、何より当時のワープロの名称まで、よくもまあここまで覚えているものだと感心した。(自分はワープロは「書院」ではなく「Rupo」だったのだが)。

 

HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」も「ミュージックステーション」も「CDTV」も毎週欠かさず見ていて、スピードが出るたびに、上原多香子かわいい、と思っていたくせに、自意識が邪魔して、そのことを打ち明けられない。「上原多香子かわいいよね」といわれても、「ん?」という顔をして、「だれ?」ととぼける。「BODY&SOUL」も「STEADY」も「GO!GO!HEAVEN」もソラでうたえるはずなのに、大学では気難しい顔をして現代詩文庫を読んでいる。死んでほしい。(p.99) 

相棒にも話したが、90年代に10代後半から20代前半を過ごした者に特有のことがあるとすれば、テレビ番組やアイドルや俳優や映画やCMといったものに関して「知っていた」「見ていた」「歌った」という、ほぼ全員共通の経験があることなのではないか。

そしてなぜか、その頃のことを思い出そうとするとイタい。 「あの頃はよかった」とは思えなくて、「死んでほしい」と思う気持ち。

  

セッションから少し経ったころに初めて訪れた野外音楽フェスで、スチャダラパーのライブを見た。

前回Bose氏を見たのは、2010年6月の小沢健二氏の復活ライブ「ひふみよツアー」での飛び入り参加だったように思う。9年ぶりとは。

来年で30周年、すでに5万曲以上を作ってきたという彼らは、ライブの終盤に「今夜はブギー・バック Smooth Rap」を歌ってくれた。

今夜はブギー・バック smooth rap

今夜はブギー・バック smooth rap

 

ここでしか見れない 景色 ここでしか吸えない 空気

吸って吸って はいてはいて 

日はのぼり落ち 折り返し地点

(『今夜はブギー・バック smooth rap』スチャダラパー featuring 小沢健二 より)

 

小沢健二氏がメインのnice vocalバージョンと少し歌詞の違う部分である。

今回とくに印象深かったのは、人生において自分が折り返し地点を感じているからなのだろうか。

今いるまちで、ここでしか見れない景色やここでしか吸えない空気、そういったものを感じているからだろうか。

とにかくパーティを続けよう

これからも ずっとずっとその先も

このメンツ このやり方

この曲で ロックし続けるのさ (同上)

30年間、スチャダラパーはその言葉通り、同じメンツ同じやり方でロックし続けてきた。そのことの絶対的な安心感をライブで感じた。

90年代から止まっているわけではない。

90年代からずっと歩いてきた。

そのことの証が「同じ」であることのうれしさ。

 

今回は読書セッションの後、もやもやしていたと思う。

格別嫌なトピックがあったわけではないのに90年代を振り返るのはしんどい作業で、月日を重ねても大して変わっていない自分の現在を思うと、落ち込んだりもするのである。

 

でも、夜の闇の中で、以前からの変わらないスタイルでキャップをかぶり、だぼだぼのTシャツを着ながら手を振り歌うSDPはまったく自然体で楽しかった。変わらないこともこんなに安心だと思わせてくれた。

 

その意味で、本というのは、人間に強さをもたらしたり、ポジティブな価値を与えるというより、人間の弱い部分を支え、暗部を抱擁するようなものだと思う。だから、ぼくたちは本が好きなのだし、本を信頼していたし、それを友達のように思っていた。(p.168) 

 

SDPのブギー・バックを聴いて、自分のなかの暗部をハグしてもらったような気持ちになったのだと思う。

ともかく、自分にも信頼できる本があり、音楽があり、ということは友だちがいるのだ。

 

 

 

ある編集者

 東京に行ったときはなるべく美術館の展示をいくつか観るようにしている。

今回はまず編集者・小野二郎の展示を観に世田谷美術館を訪れた。

www.setagayaartmuseum.or.jp

 

実をいうと、小野二郎という人物については全く知らなかった。

本の界隈にいながらそれはダメなことかもしれないが、であるからこそ興味を持ったともいえる。「編集者」として美術館で展示テーマに取り上げられるなんて、多くはいないのではないか。

 

展示はとてもよかった。小野に関連した本、本、本。

ウィリアム・モリス、そして高山建築学校の展示も興味深かったけれど、そうした多角的な視点からの構成をもってしても、小野の手がけた「本」の存在感は大きかったのだろうと思う。

 

展示ポスターにもなっている平野甲賀の装丁は、どれもおしゃれだった。甲賀フォント以前のものも、他にないデザインだと思う。

モノとして目にして「いいな」と思えるもの。その力は時を超えて迫ってくる。

文庫化され現在も親しまれている本の、初版におけるかっこよさ。

どうしてこのままじゃないのかなあと思ってしまうけれど。

 

小野は52歳で急逝したが、もしそうでなかったら、どのような本が世に出ていただろうかと考えてしまう。

鶴見俊輔や、長田弘が寄せた言葉を読み、その人となりを想像する。

この人に私は会ったことがない。

しかし、この人に心をひかれた。

著書を読む前に、そういう存在に対する好意を、

ひとつの偏見としてもっていた。

その偏見を、著者はうらぎらなかった。

 (「小野二郎について」鶴見俊輔

 

 つくった本、やった仕事よりはるかに、

未定の本、未定の仕事を、

ここに置いたままにしていった大男。

  (長田弘

 

会場には、小野にあてて送られた文筆家たちによる葉書も展示されていた。多くは、小野により献本された書籍に対するお礼状。感想も述べられており、読んでいくと書き手の個性が感じられ、面白い。

折しも、出版業界における献本の風習(?)と、それに対する御礼コメントをSNSで拡散することが話題となっていて、そんなことも思い出した。

 

本展示で何が良かったのかと振り返ってみれば、展示物により、その人の為した「しごと」の全容が浮かび上がるように思ったことだろう。

全容を把握しつつ、それぞれに近づけば、より細部を知ることができる。

 

生前の小野は冗談で、やらなくてはならない仕事がありすぎる、80歳までは生きないとと言っていたそうだ。

 

晶文社を立ち上げる前に、弘文堂にいた小野は、「現代芸術論叢書」というシリーズを手掛けていたが、その巻末続巻予告のページがわざわざ展示でクローズアップされていた。続いて出ると予告されながら、16タイトルが未刊行となったそうだが、それを観ると、アイデアが次々生まれるなんてすごいと思ったり、このページを指し示すことで、小野の発想力を知らせようとした展示会の企画者にも感心した。

 

僕の人生の今は何章目くらいだろう

 

そう歌う曲を、実感をもって聴くようになった。

 

自分に残り時間がなくなったあと、

このように「成したこと」を広げ、次世代につなげられるだろうか。

 

ああ、時間がない。

セッション13

ここのところ、忙しいと言いながら内容的に重い本が続いたので、 少し読みやすい

「本の本」を課題本とした。

本を贈る

本を贈る

 

 

著者、編集、校正、装丁、印刷、製本、営業、取次、書店員、本屋。

 「本を届ける」職業の、10人の人びとによるエッセイ集である。刊行時から気になっていたのだけど、その時はしっくりこなくて、今年に入ってようやく手に入れた。

上の書影では、イラスト部分は赤色になっているが、刷を重ねるたびにその色を変えていて、自分が買ったのは緑色の二刷である。現在は三刷が出ていて、オレンジ色だそう。本づくりにおいて、そうした趣向を凝らすのも楽しいなと思う。

 

10人の語り手の中で、本(の中身)を「つくる」工程に関わる生業の人たちよりも、本を「届ける」工程により近い人たちの話を面白く感じた。初めて知る話が多かったというのもあるかもしれない。

 

装丁家の矢萩多聞氏の章に、小学校1年のときの新聞づくりのエピソードが書かれている。同じように自分も、新聞づくりに「はまって」いた。壁新聞ではあったが、毎日1号発行していた。誰よりも多く発行したいと思っていたのを覚えている。よくもそんなに書くことがあったものだ。でも、「紙に何かを書きつけ複製して人びとに配るという遊び」が、楽しくて仕方なかったという気持ちはとてもよく分かる。

 

子どものとき、一枚のビスケットができるまで、どれだけの人が関わっているんだろう、と想像して遊ぶのが好きだった。目の前のビスケットの材料や包装材をめぐって、頭の中で地球を何周も旅した。小麦粉やバターや卵に砂糖、プラスティック袋の印刷、縫製、原料の石油・・・・それぞれの場所にこんな人がいて、こんな一日を過ごしているんじゃないか。そう想像するだけで、なんでもないビスケットがなにものにも代えがたい宝物のように思えた。(pp.81-82) 

 

ビスケットから物語を想像する遊び。小さい時から、こんな風に物事を考えられたら楽しいだろうなと思った。

ここまでではないが、「自分の知らないところで生きている人たち」について思いをはせることもあった。

「あさ いちばんはやいのは」という童謡や、谷川俊太郎氏の「朝のリレー」がお気に入りで、そうした作品に触れ生活の息吹が感じられるような他人の生きざまを思うとき、きまって気持ちがざわついた。高架線路を走る電車から流れる町を見つめるとき、立ち並ぶビル群に一瞬見える人影や、並列で走る別の電車の窓によりかかる見知らぬ誰かを見つめたときも、同じような気持ちになった。生きている。それぞれに。私とは違う人生を。そんなことを確認させられるような気持ち。

 

製本屋の朝は早い。始業は八時。もちろんそれは作業開始の目安となる時刻のことで、機械の電源を入れたり、製本に使用するボンドを溶かしたり、諸々の準備のために一時間以上早く出勤するひともいる。スイッチを押してしまえば、あとはパンをかじったり、煙草を吸ったりして過ごしている姿も見かけるが、気の早いひとなどは本気で働き始めてしまっている。毎朝ギリギリに出勤している私は、そのそばを、遅刻したような気持ちになりながら、えらいなあと小走りする。(p.143)

 

本書で10人の人たちの人生を垣間見たが、本と向き合った時間が具体的に書かれていれば書かれているほど、ぐっと気持ちが入った。裏方であればあるほど、面白く感じた。

製本家・笠井瑠美子氏の語る工程には、中身に思い入れがなくてもきっちり仕事するという、職人たちの心意気を感じたし、「やりがい」のある仕事だけが立派なわけではなく、こうして仕事は仕事としてこなすことが「当たり前」とすることを、大げさでなく尊いと思う。

 

「本を贈る」というテーマにたいして、自分の仕事はそれではないと否定する人もいた。取次の川人寧幸氏である。

中間にあって、主体として「贈る」という気持ちにはならなかった。届けられたものは、次に届けなければならない。滞留させてはならない。一日が終わると荷捌き場には何も残らない。きれいさっぱり清々した気持ちになるが、その代わりに本には私たちのような労働者の痕跡はいっさい残らない。それでいいではないか。(p.178)

 

主体となることは無いと書いたが、主体といってもどこからが主体なのか、そもそもどこが始まりでどこに続いて行くのかなど、誰にもわからない。出版されたものは著者の手を離れていくし、読者たちがそこに何事かを投影し、あるいはそこからまた別の本に引き継がれることもあるだろう。一冊の本の寿命が人の一生より長い場合もよくあることだ。ある意味では取次であるかどうかにかかわらず、本に関わる誰もが中動態のような中にいるのではないだろうか。(p.202) 

自分も「本を届ける」という仕事にあったことがあるが、どちらかといえば主体ではなく、人の一生より長いスパンで考えて、次の世代にどう渡していくかということを考えていたように思う。

「どこが始まりでどこに続いて行くのかなど、誰にもわからない」

その通りであるけれども、であるからこそ、確かにリレーのバトンのように次世代に繋いでいかなければ、その時点で断絶されて終わってしまう連環なのだ。

 

本が物理的に空間を占有するものであるかぎり、スペースの問題は店舗であれ個人の部屋であれつきまとう。出版社の営業・橋本亮二氏の章にそのことが書かれている。

当たり前のことですが、売り場のスペースには限りがあります。売り込みをしに来る出版社は数えきれないほど。とうぜん、お店としても売りたい本はたくさんあります。何かの本を選ぶということは、他の本を選ばないということでもあるわけです。(p.220)

「選ばない」ということの難しさはずっと感じてきた。「選ばない」、つまり棚に居場所を与えない。もし現在棚にある場合は、棚から取り除くということである。本当はまだそこにいて欲しいとしても、苦渋の選択で「いま」需要の高いもの、要望のあるものを残さなくてはならない。「選ばない」ことを選ぶのである。

 

<本を通じて社会はもっといいものにできる。書店の棚を通して思いを届けることができる。そのために、粘り強く、あきらめずに各地の書店へ足を運び、丁寧に提案をつづける>(pp.225-226)

 

そのように自分も信じていた。いまも信じることをやめてはいない。

「仕事を通じて社会に貢献したい」というのは、ずっと以前から変わらない願いだ。その仕事が、本に関することであればなおよかった。

本のある場所で、必要とする人がきたときに備える。どちらかといえば待つ仕事。

しかし、同じ場所で待ち続けることに疑問を感じるようになる。この場から動かない限り、この場所を目指してきてくれる人以外に出会えない。それらの本を必要とする人たちは、もっと他の場所にもいるように思えてならなかった。

そうであるから、移動する本屋を営む三田修平氏の気持ちに強く共感した。

固定の場所、特定の文化圏で本屋をやっていると、本好きの人々に愛される「いい本」ばかりを追いかけてしまいそうになる。誤解を恐れずにいうと、ブックトラックは本好きのためのお店を目指してはいない。

<中略>

ブックトラックでは、何かに興味があって、知識や情報を知りたいという人に、本を通して何かを提供できたら良いなと思っている。(p.285)

 

本が好きとか好きではないとかではなく、当たり前のように生活に溶け込んでいてほしい。特別なものとして扱ってほしくない。そのような想いが自分にもある。

届けるというのもおこがましいが、本にまつわる空気に触れ、体験をしてもらいたい。

そういった意味で、外に飛び出して本の場所を作ったり、本にまつわる体験を色々な人に語ってもらったりということ、本書に書かれている移動式本屋のような取り組みも含めて、「本を体験する」ことは、もっと全国的に広まってほしいと思う。

 

本書は、主に「本好き」と言われる(自認する)人が手に取る本だと感じる。でも、さまざまな切り口で本への関わり方が紹介されているので、ふと手に取ったことで、本が好きでなくても、「仕事として本に携わること」に興味を持つ人が出てくるかもしれないと期待する。

 

誰でもいちどは、本のある空間を体験してもらいたい。そのうえで関わらないという選択があってもいい。しかし、環境によって「知らない」人が出てくるということは避けたい事態だと思っている。本の環境があるとないとでは、文化的にも生活的にも、あまりに格差が生まれてしまうと実感しているから。

どうしたら本のある場所を体験してもらえるだろう、ということはしばらく自分の不動のテーマとなりそうだ。

 

うっかりしていたが、このセッション読書会を初めて1年が経っていた。

初めのころの投稿を今読み返すと、手探り状態なのがよく分かる。

よく続いているなあと思う。相手あってのことなので、貴重な時間を割いて本の話につきあってくれる相棒に感謝したい。

セッション12

いいなあと思う憧れの出版社がいくつかある。みすず書房はそのひとつ。

「好き」とか「お気に入り」じゃなくて、「憧れ」なのは、価格帯もあるのだと思うけれど、生み出される本一点一点の佇まいが美しいからだ。言及するときもちょっと通ぶって「みすず」と呼んでは、実はどきどきしていたりする。

 今回の課題本は出版前から本の界隈の人たちの間で話題になっていたが、実際に初めて書店で見たときに強烈に「欲しい」と思ってしまった。ただ、さすがの「みすず価格」だったので(¥4,600+税)、手に入れるまで熟慮を要した。

エコラリアス

エコラリアス

 

カバー絵は、ジャクソン・ポロック

本書の装丁は、絵とタイトルのロゴや配置、「みすず書房」の出版社表記までもがセットとなったデザインだと感じた。表紙も、背表紙も。全体的に自分好みである。

セッションのとき、「カバーがつるつるしてて、”いつもの”みすずの紙質と違う気がする、本とずれていくので読みにくかった」と指摘があった。言われてみればカバーが外れやすかったかもしれない。相棒はいつも本の造りとか、物質的な部分にも細かく気付いて言及する。自分が気付かないところまで。

 

タイトルの副題「言語の忘却について」は特に興味ひかれるテーマだ。冒頭、幼児の喃語について著者はロマン・ヤコブソンの次の言葉を引く。

「観察者たちにとっても驚くことに、幼児が前言語段階から最初の単語を獲得するにいたる際、つまり本来の意味での言語的な第一段階で、様々な音を発する能力をほとんど失ってしまう」ことが確認されている。(p.10) 

このことを受けて、著者は次のように疑問を投げかけている。

子供が、ひとつの言語の持つ現実に吸収されきってしまい、その言語以外のあらゆる言語の可能性、無限の、しかし結局は不毛である可能性を、これを限りと捨て去ってしまうことがあり得るのだろうか。(pp.11-12)

 

この部分を読んで、ある児童文学を思い出した。

風に乗ってきたメアリー・ポピンズ

風に乗ってきたメアリー・ポピンズ

 

子供のころ、特に好きなシリーズだったのだが、なかでも折に触れ思い出すエピソードがある。それは「ジョンとバーバラの物語」である。

バンクス家の4人の子どもたち、ジェイン、マイケル、双子のジョンとバーバラのお世話をするnannyのメアリー・ポピンズは、不思議な力を持っている女性。こうもり傘で空を飛び、ドラえもんの四次元ポケットのような「絨毯バッグ」を持っている。nannyについては日本に類似する職業がなかったのでなんともいえないが、乳母は別に登場するし、勉強を教えるわけでもなさそうなので「子どもたちと一緒にいてお世話する人」というくらいなのだろうか。

さて、「ジョンとバーバラの物語」のなかでは双子のジョンとバーバラは赤ん坊で、メアリーの古なじみらしい鳥(コマドリ)と、おしゃべりをしたりクッキーをあげたりして遊んでいる。コマドリは、二人もいつか、今は聞こえている風の話す声や、コマドリの言葉も解さなくなる、忘れてしまうのだと意地悪く二人をからかい、二人は「そんなのは信じない」と怒り悲しむ。しかし、やがてまた別のある時コマドリが訪れると、ジョンとバーバラは、もうコマドリと話す言葉を忘れてしまっていたのだった。

同じ出来事は、続編においても発生する。ジョンとバーバラの下に、さらにアナベルという妹が生まれ、やはりコマドリと仲良くなる。コマドリは、また同じことが起きるはずと思いながら、「もしかしてこの子だけはメアリーのように自分たちの話す言葉を忘れないかもしれない」と期待する。(そうなってほしくない、という思いの裏返しで、コマドリは必ず子どもたちに意地悪を言うのだが)。

私たちが日常的に話す言葉を話せるようになる前の子供たちは、私たちの理解できない不思議な言葉を話す。その様子を見ていると、風や鳥といった、自然界との会話もできているに違いないと信じられる。

メアリー・ポピンズの物語と、私たちの日常は地続きな部分もあり、さらにそこに「エコラリアス」の論考はリンクしているように思えるのだ。

  

人間の成長過程における言語の忘却の話とは別に、歴史的に見て消滅していく言語もある。本書ではその現象を「言語の死」と呼んでいる。

著者は「ある言語が本当に消滅したと、どうしたら確信できるのか、という解決できない恐れがある問題」について、さまざまな学者の説を引用し検証しようとしており、大変興味深い。ある言語の最後の話者をめぐり「言語の終焉」について語るジョゼフ・ヴァンドリエスの言葉には特に考えさせられた。

それにしても、コーンウォール語は彼女の死の瞬間に本当に死んだことになるのだろうか。老いたドリーはこの言葉を話すただ一人の人間だった。しかし、言葉を話すには少なくとも二人の人間が必要だ。コーンウォール語は、彼女に返答できる最後の人間がいなくなった日に消え去ったのだ。(p.76)

「話す」ことには相手が必要であるという、当たり前の事実についての不思議さを思う。本ブログにおける読書のセッションも、一人の感想戦ではなく、同じ本を読んだ誰かと対話することによって成り立っている。その対話から感じたことを書き記すことによって、それをさらに相手に伝える。読んでまた、対話していた時とは別のことを思うこともある。言葉は自分ではない誰かほかの人を通すとまた別の変化を遂げる。自分の思いも他の人の言葉にあてはめて変わっていく。変わっていくようではあるが、変わる前の思いもそこには含まれている。

言葉・言語は伝達のツールにすぎず、絶え間なく変化していき、時に「死」を迎えるように考えられているが、実は現在のわれわれに見えていないだけで、ひそかに記憶を内蔵し、とどめているのではないか。 

ある言語が別の言語に変化する時には、常にその残余があるが、誰もそれが何かを思い出すことはできない。言語の中には話し手よりも多くの記憶が残っていて、それは生き物より古い歴史の厚みの痕跡を示す地層に似ている。それは必然的に、言語が通ってきた幾つもの時代の跡を残している。ラルフ・ワルド・エマソンが書いているように、「言語は歴史のアーカイヴ」であるのなら、言語はその仕事を学芸員もカタログもなしに行っていることになる。(p.91)

情報には表層と深層があり、いま見えている部分だけではなく、奥底にまた別の有用なものがあるかもしれない。そうであるはずだ、と考えることは日々自分に課していることでもある。

しかし、「学芸員もカタログもなしに」アーカイブする歴史は、想像するだけでも混迷の極みだ。そのことは著者も認めている。

わたしたちが思っているよりも、ある言語はそれ以前に存在した幾つもの言語を留めていて、その響きが、弱まったとはいえ、現在の言語の中にも続いていると考えられなくはない。言語の地質学者たちは、精密な研究により、その地に元からあったり、または他の土地から来たりした言語を構成し分解する、複数の層を同定していると自負している。しかし、失われた時の探求は、記憶においてそうであるように言語においても困難であり、ある言語が通り抜けた複数の時代は、歴史家や考古学者の手に容易に負えるものではない。(p.101)

「言語の地質学」という言い方はすてきだ。言語というとらえどころのない目に見えないものが、地層に例えられることで一気にビジュアルとして浮かび上がるし、研究者自身がこつこつと石を掘り痕跡を探すような姿まで想像してしまう。

さらに著者は、言語そのものを「複数で密接な関係を持つ厚みの異なった層の移動=絶え間ない地滑り」として定義しようとしている。

このように、言語が消滅するというよりも、地滑りによって層の変化が起こり、表層に見えないようになる、という考え方の方が自分にはしっくりくる。地層のように考えていくと、忘れられてはいるが、ひっそりと今につながる土台となっていると考えることもできる。

 

一般的な忘却ということと、本書のテーマの「言語の忘却」は別のことだと分かっている。それでも、「忘却すること」そのこと自体を考えずにはいられない。

 それほど大切と思われることでなくても「忘却すること」に後ろめたさを感じてしまうのはなぜなのだろう。

全てのことを記憶にとどめておくことは困難だ。後世に残るよう、記録にすることもなかなか難しい。しかし、人は忘れてしまう。

 

でも、このようにも考えられる。忘れているだけなのだ。消えはしない。

 

本書を読んで、分かったこともあるし、ますます分からなくなったこともあるし、新たに疑問に感じてしまったこともある。

それでも楽しかった。

分からないことによって、照らされる自分を見つめるのは、愉快である。

セッション11

2019年は大著の積読解消ということになるみたいだ。 

440ページ。おそらく今までで一番長かった。

この本は1月からの宿題だったのに、結局2/3までしか読み終えないままセッションに臨んだ。(相棒は読み終えていた。さすがである)

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

さて、この本は2018年の神保町ブックストリートで出版社のワゴンセールで買ったものだ。ずっと読みたいと思っていたので、喜び勇んで買ったのだが、なぜセールになっていたのかといえば、ちょうど同じころに6刷が出来となっていたから。なるほど。

刊行してだいぶ時間が経過しているけれども、最近訪れたいくつかの書店では目立つところに一冊は置いてあった(探しているわけではないのに目に入るので、目立つところという認識)。持っている未読本を書店で見かけると嬉しくなるのはなぜなのだろう。 

 

原題が "A PARADISE BUILT IN HELL:The Extraordinary Communities That Arise in Disaster" 。これを「災害ユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」とした邦訳したのは秀逸だ。読み終えてあらためて思う。

かつての自分が「災害」を思うとき、それは関東大震災や、阪神淡路大震災東日本大震災などの大地震およびそれに付随して起こるものであった。

しかし今では、近年の九州や広島での水害、台風による停電被害なども経験し、ありとあらゆる自然災害がいつどこに起こってもおかしくないのだと思っている。

きっと、2010年に初めてこの本が出たときに読んでいたとしたら、今この時より全く違った読み方をしていた。フィクションを読むように読んでしまっていただろうと思う。

それというのも、ソルニットの書く文章は取り扱う内容のわりに読みやすいのだ。物事に対峙してそれを「伝える」ことへの姿勢が原文にも表れているのだろうと想像する。

とはいえ、440ページである。

セッションの後も読み続けていたが、最後の1/3パートが自分には結構重たくてスピードダウンしてしまった。読み終えて、こうして書くことができてよかった。

 

あなたは誰ですか?わたしは誰でしょう? (p.9)

この問いかけは、プロローグだけでなくエピローグにも登場する。

危機的な状況において、この点を確認することが生死を分ける場合もあるという。しかし、人が社会で生きていく以上、常に問いかけ続けている問題でもある。

 災害においては、「人間の本質」が問われるのだ。

 「人間の本質」という言葉は今では流行遅れになっている。この言葉に暗示されるのは、固定した性質、すなわち普遍的で安定した自己である。だが、もし世の中には文化や環境により形成された多くの"人間の本質"があり、一人一人の中にはそれが複数存在すると認めるなら、災害時に現れる"人間の本質"の大部分は、いつもの、または正常な我々の姿ではなく、単にそのような状況下での我々の姿を示している。<中略>

災害への反応は、部分的にはその人が誰であるかに左右される―たとえば、ジャーナリストには一般の人とは異なる義務があるーが、誰になるかもまた、その人が何を信じているかで大きく違ってくる。(pp.78-79)

 人間の本質、それは普遍的なことではなくて、一人の中に複数内在しており、状況によって表出されるものが変わる、というのは理解できる。

であるからこそ、「あなたは誰で、そしてわたしは誰か」という問いが出てくるのだと思う。見えてくる"本質"は、時には思いもかけないような、受け容れがたいものであるかもしれない。災害時には特にさまざまな“本質”が表れてくる。

本書で、著者はいくつかの災害の事例を取材し、また、それらをつなぐ先人たちの哲学や思想を紹介し、「災害ユートピア」について考察している。

 

人々は災害に遭った後、または目撃した後に、強いショックを受けると同時に「何か自分にできることをしなくては」という気持ちになる。相互扶助、利他主義。そうした意識が働く。そうした時によく言われるのは、災害時だけでなく「いつもすればいいのに」。

その疑問に対するソルニットの答えはこうである。

 1989年の大地震に続く数週間には、愛と友情がとても大切で、長年の心配事や長期的プランは完全に意味を失っていた。人生は今現在のその場に据えられ、本質的に重要でない多くの事柄はすべてそぎ落とされた。(p.16)

災害時には、人々は長期的ビジョンに立たないからだ (p.48)。

 

そう、その時は「今ここ」なのだ。

ソルニットはまた、災害発生後の「エリートパニック」について、災害学の学者の間で使用されている権力者たちが恐怖にかられて行う過剰反応のこととし、具体的な例を挙げて説明している。

災害により立場や生活がひっくり返されてしまい、不安な中で貧困層や白人以外の住民が混乱に乗じて犯罪を繰り返しているという「妄想」噂を信じてしまい、拡散していく。

 

8年前の東日本大震災の後、得られる情報が少ない中で、誰もが「情報拡散」を行っていた。デマや間違った情報もたくさんあったと思うが、「必要な人に届けばいい」という祈りのようなものがあったように思う。

日本ですら、被災地での強奪や詐欺などの犯罪の話(噂話と思うが)はあり、あっという間に広まっていった。あれも、パニックだったに違いない。

 

セッションのときにも、本の内容とは別に、どうしても自分たちが「8年前」体験したことについての話になった。

その時に話したのは、自分は「以前」「以後」という分け方で時代を区切って考えるようになったということだった。

メキシコシティで組合を立ち上げたお針子のひとりが、息子に言われた言葉は、その当時の自分のことを言われているように思った。

『ママ、地面が揺れてから、ママの中は揺れ続けているんだね』(p.192) 

また、この本でのニューオリンズの例が9.11のマンハッタンとは違う傷を負ったことについて、「土地の人が変わらない生活を送ってきたこと」が挙げられていた。

毎日が変わらなく続くと信じていたときの災害。そのことの打撃は、実際の被害以上に人々を傷つけたのではないか。

 

私の場合は、その日を境に生活が物理的に一変したわけではない。しかし、発災前の自分に戻ることはもう二度とできないし、どういう風に感じていたかとか、考えていたかということも確認できない、以前の自分とは変わってしまったと、強く思ったのを覚えている。

 

もう一つ、この本を読んで感じたのは、「本だからまだ内容を受けとめられる」ということだった。

書かれている内容によっては、凄惨な災害の描写もあって、これが映像だったら自分にはとても目を向けることはできなかった。

写真や映像は、実物以上の力で迫ってくることがある。否応なしに目の中に飛び込んでくるものは、時に冷静な視点や思考力を奪う。文字だから、読めた。そのことについて、語ることもできた。

そう考えてみて、もしかしたら、8年が経った今でも、体験者であるほとんどの人びとが、東日本大震災について、充分に互いに語り合えていないのではないかという気もした。

メディアが仕立てた振り返りの映像。取材の上で選ばれたインタビュー上の語り。

次世代に継承するための記録としての体験談。

でも、そうした誰かのフィルターを通した体験ではなくて、もっと互いに直接話してみることが必要だと思う。

何年経っても、語り合うこと。対個人として、耳を傾けること。

 

あの時はここにいた。

その後、誰とどうした。

数週間はどうだった。

やがてこうなっていった。

そんなことどもを。

 

それは今後の教訓としてというよりは、誰もが社会の中で生きていく中で、発し続ける疑問の答えのひとつにつながると思うから。

 

あなたは誰ですか?私は誰でしょう?

そして、ここで語り合っている私たちの生きる世界を、どうしていけるでしょう?