セッション14

西荻窪というまちが好きである。

住んだことはないが、大人になってから通うようになった。

現在は本屋や古道具屋、雑貨店、ベーグル専門店に美味しいことで有名な食事処など、歩いて回りやすい範囲に魅力的なお店が点在していて人気のスポットになっている。

そこに至るまでの、普通の商店街だった時代も知っているし、今や人気店となったお店が規模が小さかったことや、駅から少し離れた場所にあった時代も知っている。自分の成長とともに変わっていき、賑わいがうまれていく様子を見てきたという意味でも思い入れのあるまちだ。

 

9回目のセッションで、堀部篤史氏の『90年代のことー僕の修業時代』について取り上げた。

mi-na-mo.hatenadiary.jp

 その時に触れた島田潤一郎氏のエッセイ「九〇年代の若者たち」が他の雑誌寄稿文などとともに一冊の本にまとめられ、『90年代の若者たち』として夏葉社のインディーズレーベル「岬書店」から発行された。(本のタイトルは「90年代」と英数字表記、収録されている表題作のタイトル表記は前のまま「九〇年代」と漢数字表記となっている。)この本が今回の課題本である。

刊行されてまもなく、ちょうど西荻窪に行く用があったので、取り扱っている雑貨店FALLで入手した。そこで夏葉社関連本2冊以上購入すると、島田氏の所有していた90年代のCDが特典としてプレゼントされるという。もともと買うつもりだった本が2冊以上あったので、その特典の恩恵にあずかったが、くじを引いて当たったのはシェリル・クロウのデビューアルバムだった。 

チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ

チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ

 

通常新しいCDを購入すると、背を覆うように帯のようなものがついてパッキングされている。

その帯的なもの(なんというのか知らない)、開封後は結構邪魔なのだが、文庫本における背表紙の解説的なものが書かれていることがあることもあってなかなか捨てられない。ケースを開けたつまみの部分に挟んで保存したりするのだが、このCDについてもそのようになっていた。とてもきれいな保存状態だ。

その帯的なものによると、シェリル・クロウは90年代当時「70年代のロックの香り漂う女性ロッカー」という売り文句だったらしい。

90年代なのに70年代に逆行?いや、これこそが90年代っぽいのかも。

 

seikosha.stores.jp

さて、課題本についていえば、読んでいる最中は次々と出てくる固有名詞に忘れていた記憶がよみがえり、感情が波のように押し寄せてくるということの繰り返し。テレビ番組やCDアルバムや漫画について、何より当時のワープロの名称まで、よくもまあここまで覚えているものだと感心した。(自分はワープロは「書院」ではなく「Rupo」だったのだが)。

 

HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」も「ミュージックステーション」も「CDTV」も毎週欠かさず見ていて、スピードが出るたびに、上原多香子かわいい、と思っていたくせに、自意識が邪魔して、そのことを打ち明けられない。「上原多香子かわいいよね」といわれても、「ん?」という顔をして、「だれ?」ととぼける。「BODY&SOUL」も「STEADY」も「GO!GO!HEAVEN」もソラでうたえるはずなのに、大学では気難しい顔をして現代詩文庫を読んでいる。死んでほしい。(p.99) 

相棒にも話したが、90年代に10代後半から20代前半を過ごした者に特有のことがあるとすれば、テレビ番組やアイドルや俳優や映画やCMといったものに関して「知っていた」「見ていた」「歌った」という、ほぼ全員共通の経験があることなのではないか。

そしてなぜか、その頃のことを思い出そうとするとイタい。 「あの頃はよかった」とは思えなくて、「死んでほしい」と思う気持ち。

 

 

セッションから少し経ったころに初めて訪れた野外音楽フェスで、スチャダラパーのライブを見た。

前回Bose氏を見たのは、2010年6月の小沢健二氏の復活ライブ「ひふみよツアー」での飛び入り参加だったように思う。9年ぶりとは。

来年で30周年、すでに5万曲以上を作ってきたという彼らは、ライブの終盤に「今夜はブギー・バック Smooth Rap」を歌ってくれた。

今夜はブギー・バック smooth rap

今夜はブギー・バック smooth rap

 

ここでしか見れない 景色 ここでしか吸えない 空気

吸って吸って はいてはいて 

日はのぼり落ち 折り返し地点

(『今夜はブギー・バック smooth rap』スチャダラパー featuring 小沢健二 より)

 

小沢健二氏がメインのnice vocalバージョンと少し歌詞の違う部分である。

今回とくに印象深かったのは、人生において自分が折り返し地点を感じているからなのだろうか。

今いるまちで、ここでしか見れない景色やここでしか吸えない空気、そういったものを感じているからだろうか。

とにかくパーティを続けよう

これからも ずっとずっとその先も

このメンツ このやり方

この曲で ロックし続けるのさ (同上)

30年間、スチャダラパーはその言葉通り、同じメンツ同じやり方でロックし続けてきた。そのことの絶対的な安心感をライブで感じた。

90年代から止まっているわけではない。

90年代からずっと歩いてきた。

そのことの証が「同じ」であることのうれしさ。

 

今回は読書セッションの後、もやもやしていたと思う。

格別嫌なトピックがあったわけではないのに90年代を振り返るのはしんどい作業で、月日を重ねても大して変わっていない自分の現在を思うと、落ち込んだりもするのである。

 

でも、夜の闇の中で、以前からの変わらないスタイルでキャップをかぶり、だぼだぼのTシャツを着ながら手を振り歌うSDPはまったく自然体で楽しかった。変わらないこともこんなに安心だと思わせてくれた。

 

その意味で、本というのは、人間に強さをもたらしたり、ポジティブな価値を与えるというより、人間の弱い部分を支え、暗部を抱擁するようなものだと思う。だから、ぼくたちは本が好きなのだし、本を信頼していたし、それを友達のように思っていた。(p.168) 

 

SDPのブギー・バックを聴いて、自分のなかの暗部をハグしてもらったような気持ちになったのだと思う。

 

ともかく、自分にも信頼できる本があり、音楽があり、ということは友だちがいるのだ。

 

よくなくなくなくなくなくない?

ある編集者

 東京に行ったときはなるべく美術館の展示をいくつか観るようにしている。

今回はまず編集者・小野二郎の展示を観に世田谷美術館を訪れた。

www.setagayaartmuseum.or.jp

 

実をいうと、小野二郎という人物については全く知らなかった。

本の界隈にいながらそれはダメなことかもしれないが、であるからこそ興味を持ったともいえる。「編集者」として美術館で展示テーマに取り上げられるなんて、多くはいないのではないか。

 

展示はとてもよかった。小野に関連した本、本、本。

ウィリアム・モリス、そして高山建築学校の展示も興味深かったけれど、そうした多角的な視点からの構成をもってしても、小野の手がけた「本」の存在感は大きかったのだろうと思う。

 

展示ポスターにもなっている平野甲賀の装丁は、どれもおしゃれだった。甲賀フォント以前のものも、他にないデザインだと思う。

モノとして目にして「いいな」と思えるもの。その力は時を超えて迫ってくる。

文庫化され現在も親しまれている本の、初版におけるかっこよさ。

どうしてこのままじゃないのかなあと思ってしまうけれど。

 

小野は52歳で急逝したが、もしそうでなかったら、どのような本が世に出ていただろうかと考えてしまう。

鶴見俊輔や、長田弘が寄せた言葉を読み、その人となりを想像する。

この人に私は会ったことがない。

しかし、この人に心をひかれた。

著書を読む前に、そういう存在に対する好意を、

ひとつの偏見としてもっていた。

その偏見を、著者はうらぎらなかった。

 (「小野二郎について」鶴見俊輔

 

 つくった本、やった仕事よりはるかに、

未定の本、未定の仕事を、

ここに置いたままにしていった大男。

  (長田弘

 

会場には、小野にあてて送られた文筆家たちによる葉書も展示されていた。多くは、小野により献本された書籍に対するお礼状。感想も述べられており、読んでいくと書き手の個性が感じられ、面白い。

折しも、出版業界における献本の風習(?)と、それに対する御礼コメントをSNSで拡散することが話題となっていて、そんなことも思い出した。

 

本展示で何が良かったのかと振り返ってみれば、展示物により、その人の為した「しごと」の全容が浮かび上がるように思ったことだろう。

全容を把握しつつ、それぞれに近づけば、より細部を知ることができる。

 

生前の小野は冗談で、やらなくてはならない仕事がありすぎる、80歳までは生きないとと言っていたそうだ。

 

晶文社を立ち上げる前に、弘文堂にいた小野は、「現代芸術論叢書」というシリーズを手掛けていたが、その巻末続巻予告のページがわざわざ展示でクローズアップされていた。続いて出ると予告されながら、16タイトルが未刊行となったそうだが、それを観ると、アイデアが次々生まれるなんてすごいと思ったり、このページを指し示すことで、小野の発想力を知らせようとした展示会の企画者にも感心した。

 

僕の人生の今は何章目くらいだろう

 

そう歌う曲を、実感をもって聴くようになった。

 

自分に残り時間がなくなったあと、

このように「成したこと」を広げ、次世代につなげられるだろうか。

 

ああ、時間がない。

セッション13

ここのところ、忙しいと言いながら内容的に重い本が続いたので、 少し読みやすい

「本の本」を課題本とした。

本を贈る

本を贈る

 

 

著者、編集、校正、装丁、印刷、製本、営業、取次、書店員、本屋。

 「本を届ける」職業の、10人の人びとによるエッセイ集である。刊行時から気になっていたのだけど、その時はしっくりこなくて、今年に入ってようやく手に入れた。

上の書影では、イラスト部分は赤色になっているが、刷を重ねるたびにその色を変えていて、自分が買ったのは緑色の二刷である。現在は三刷が出ていて、オレンジ色だそう。本づくりにおいて、そうした趣向を凝らすのも楽しいなと思う。

 

10人の語り手の中で、本(の中身)を「つくる」工程に関わる生業の人たちよりも、本を「届ける」工程により近い人たちの話を面白く感じた。初めて知る話が多かったというのもあるかもしれない。

 

装丁家の矢萩多聞氏の章に、小学校1年のときの新聞づくりのエピソードが書かれている。同じように自分も、新聞づくりに「はまって」いた。壁新聞ではあったが、毎日1号発行していた。誰よりも多く発行したいと思っていたのを覚えている。よくもそんなに書くことがあったものだ。でも、「紙に何かを書きつけ複製して人びとに配るという遊び」が、楽しくて仕方なかったという気持ちはとてもよく分かる。

 

子どものとき、一枚のビスケットができるまで、どれだけの人が関わっているんだろう、と想像して遊ぶのが好きだった。目の前のビスケットの材料や包装材をめぐって、頭の中で地球を何周も旅した。小麦粉やバターや卵に砂糖、プラスティック袋の印刷、縫製、原料の石油・・・・それぞれの場所にこんな人がいて、こんな一日を過ごしているんじゃないか。そう想像するだけで、なんでもないビスケットがなにものにも代えがたい宝物のように思えた。(pp.81-82) 

 

ビスケットから物語を想像する遊び。小さい時から、こんな風に物事を考えられたら楽しいだろうなと思った。

ここまでではないが、「自分の知らないところで生きている人たち」について思いをはせることもあった。

「あさ いちばんはやいのは」という童謡や、谷川俊太郎氏の「朝のリレー」がお気に入りで、そうした作品に触れ生活の息吹が感じられるような他人の生きざまを思うとき、きまって気持ちがざわついた。高架線路を走る電車から流れる町を見つめるとき、立ち並ぶビル群に一瞬見える人影や、並列で走る別の電車の窓によりかかる見知らぬ誰かを見つめたときも、同じような気持ちになった。生きている。それぞれに。私とは違う人生を。そんなことを確認させられるような気持ち。

 

製本屋の朝は早い。始業は八時。もちろんそれは作業開始の目安となる時刻のことで、機械の電源を入れたり、製本に使用するボンドを溶かしたり、諸々の準備のために一時間以上早く出勤するひともいる。スイッチを押してしまえば、あとはパンをかじったり、煙草を吸ったりして過ごしている姿も見かけるが、気の早いひとなどは本気で働き始めてしまっている。毎朝ギリギリに出勤している私は、そのそばを、遅刻したような気持ちになりながら、えらいなあと小走りする。(p.143)

 

本書で10人の人たちの人生を垣間見たが、本と向き合った時間が具体的に書かれていれば書かれているほど、ぐっと気持ちが入った。裏方であればあるほど、面白く感じた。

製本家・笠井瑠美子氏の語る工程には、中身に思い入れがなくてもきっちり仕事するという、職人たちの心意気を感じたし、「やりがい」のある仕事だけが立派なわけではなく、こうして仕事は仕事としてこなすことが「当たり前」とすることを、大げさでなく尊いと思う。

 

「本を贈る」というテーマにたいして、自分の仕事はそれではないと否定する人もいた。取次の川人寧幸氏である。

中間にあって、主体として「贈る」という気持ちにはならなかった。届けられたものは、次に届けなければならない。滞留させてはならない。一日が終わると荷捌き場には何も残らない。きれいさっぱり清々した気持ちになるが、その代わりに本には私たちのような労働者の痕跡はいっさい残らない。それでいいではないか。(p.178)

 

主体となることは無いと書いたが、主体といってもどこからが主体なのか、そもそもどこが始まりでどこに続いて行くのかなど、誰にもわからない。出版されたものは著者の手を離れていくし、読者たちがそこに何事かを投影し、あるいはそこからまた別の本に引き継がれることもあるだろう。一冊の本の寿命が人の一生より長い場合もよくあることだ。ある意味では取次であるかどうかにかかわらず、本に関わる誰もが中動態のような中にいるのではないだろうか。(p.202) 

自分も「本を届ける」という仕事にあったことがあるが、どちらかといえば主体ではなく、人の一生より長いスパンで考えて、次の世代にどう渡していくかということを考えていたように思う。

「どこが始まりでどこに続いて行くのかなど、誰にもわからない」

その通りであるけれども、であるからこそ、確かにリレーのバトンのように次世代に繋いでいかなければ、その時点で断絶されて終わってしまう連環なのだ。

 

本が物理的に空間を占有するものであるかぎり、スペースの問題は店舗であれ個人の部屋であれつきまとう。出版社の営業・橋本亮二氏の章にそのことが書かれている。

当たり前のことですが、売り場のスペースには限りがあります。売り込みをしに来る出版社は数えきれないほど。とうぜん、お店としても売りたい本はたくさんあります。何かの本を選ぶということは、他の本を選ばないということでもあるわけです。(p.220)

「選ばない」ということの難しさはずっと感じてきた。「選ばない」、つまり棚に居場所を与えない。もし現在棚にある場合は、棚から取り除くということである。本当はまだそこにいて欲しいとしても、苦渋の選択で「いま」需要の高いもの、要望のあるものを残さなくてはならない。「選ばない」ことを選ぶのである。

 

<本を通じて社会はもっといいものにできる。書店の棚を通して思いを届けることができる。そのために、粘り強く、あきらめずに各地の書店へ足を運び、丁寧に提案をつづける>(pp.225-226)

 

そのように自分も信じていた。いまも信じることをやめてはいない。

「仕事を通じて社会に貢献したい」というのは、ずっと以前から変わらない願いだ。その仕事が、本に関することであればなおよかった。

本のある場所で、必要とする人がきたときに備える。どちらかといえば待つ仕事。

しかし、同じ場所で待ち続けることに疑問を感じるようになる。この場から動かない限り、この場所を目指してきてくれる人以外に出会えない。それらの本を必要とする人たちは、もっと他の場所にもいるように思えてならなかった。

そうであるから、移動する本屋を営む三田修平氏の気持ちに強く共感した。

固定の場所、特定の文化圏で本屋をやっていると、本好きの人々に愛される「いい本」ばかりを追いかけてしまいそうになる。誤解を恐れずにいうと、ブックトラックは本好きのためのお店を目指してはいない。

<中略>

ブックトラックでは、何かに興味があって、知識や情報を知りたいという人に、本を通して何かを提供できたら良いなと思っている。(p.285)

 

本が好きとか好きではないとかではなく、当たり前のように生活に溶け込んでいてほしい。特別なものとして扱ってほしくない。そのような想いが自分にもある。

届けるというのもおこがましいが、本にまつわる空気に触れ、体験をしてもらいたい。

そういった意味で、外に飛び出して本の場所を作ったり、本にまつわる体験を色々な人に語ってもらったりということ、本書に書かれている移動式本屋のような取り組みも含めて、「本を体験する」ことは、もっと全国的に広まってほしいと思う。

 

本書は、主に「本好き」と言われる(自認する)人が手に取る本だと感じる。でも、さまざまな切り口で本への関わり方が紹介されているので、ふと手に取ったことで、本が好きでなくても、「仕事として本に携わること」に興味を持つ人が出てくるかもしれないと期待する。

 

誰でもいちどは、本のある空間を体験してもらいたい。そのうえで関わらないという選択があってもいい。しかし、環境によって「知らない」人が出てくるということは避けたい事態だと思っている。本の環境があるとないとでは、文化的にも生活的にも、あまりに格差が生まれてしまうと実感しているから。

どうしたら本のある場所を体験してもらえるだろう、ということはしばらく自分の不動のテーマとなりそうだ。

 

うっかりしていたが、このセッション読書会を初めて1年が経っていた。

初めのころの投稿を今読み返すと、手探り状態なのがよく分かる。

よく続いているなあと思う。相手あってのことなので、貴重な時間を割いて本の話につきあってくれる相棒に感謝したい。

セッション12

いいなあと思う憧れの出版社がいくつかある。みすず書房はそのひとつ。

「好き」とか「お気に入り」じゃなくて、「憧れ」なのは、価格帯もあるのだと思うけれど、生み出される本一点一点の佇まいが美しいからだ。言及するときもちょっと通ぶって「みすず」と呼んでは、実はどきどきしていたりする。

 今回の課題本は出版前から本の界隈の人たちの間で話題になっていたが、実際に初めて書店で見たときに強烈に「欲しい」と思ってしまった。ただ、さすがの「みすず価格」だったので(¥4,600+税)、手に入れるまで熟慮を要した。

エコラリアス

エコラリアス

 

カバー絵は、ジャクソン・ポロック

本書の装丁は、絵とタイトルのロゴや配置、「みすず書房」の出版社表記までもがセットとなったデザインだと感じた。表紙も、背表紙も。全体的に自分好みである。

セッションのとき、「カバーがつるつるしてて、”いつもの”みすずの紙質と違う気がする、本とずれていくので読みにくかった」と指摘があった。言われてみればカバーが外れやすかったかもしれない。相棒はいつも本の造りとか、物質的な部分にも細かく気付いて言及する。自分が気付かないところまで。

 

タイトルの副題「言語の忘却について」は特に興味ひかれるテーマだ。冒頭、幼児の喃語について著者はロマン・ヤコブソンの次の言葉を引く。

「観察者たちにとっても驚くことに、幼児が前言語段階から最初の単語を獲得するにいたる際、つまり本来の意味での言語的な第一段階で、様々な音を発する能力をほとんど失ってしまう」ことが確認されている。(p.10) 

このことを受けて、著者は次のように疑問を投げかけている。

子供が、ひとつの言語の持つ現実に吸収されきってしまい、その言語以外のあらゆる言語の可能性、無限の、しかし結局は不毛である可能性を、これを限りと捨て去ってしまうことがあり得るのだろうか。(pp.11-12)

 

この部分を読んで、ある児童文学を思い出した。

風に乗ってきたメアリー・ポピンズ

風に乗ってきたメアリー・ポピンズ

 

子供のころ、特に好きなシリーズだったのだが、なかでも折に触れ思い出すエピソードがある。それは「ジョンとバーバラの物語」である。

バンクス家の4人の子どもたち、ジェイン、マイケル、双子のジョンとバーバラのお世話をするnannyのメアリー・ポピンズは、不思議な力を持っている女性。こうもり傘で空を飛び、ドラえもんの四次元ポケットのような「絨毯バッグ」を持っている。nannyについては日本に類似する職業がなかったのでなんともいえないが、乳母は別に登場するし、勉強を教えるわけでもなさそうなので「子どもたちと一緒にいてお世話する人」というくらいなのだろうか。

さて、「ジョンとバーバラの物語」のなかでは双子のジョンとバーバラは赤ん坊で、メアリーの古なじみらしい鳥(コマドリ)と、おしゃべりをしたりクッキーをあげたりして遊んでいる。コマドリは、二人もいつか、今は聞こえている風の話す声や、コマドリの言葉も解さなくなる、忘れてしまうのだと意地悪く二人をからかい、二人は「そんなのは信じない」と怒り悲しむ。しかし、やがてまた別のある時コマドリが訪れると、ジョンとバーバラは、もうコマドリと話す言葉を忘れてしまっていたのだった。

同じ出来事は、続編においても発生する。ジョンとバーバラの下に、さらにアナベルという妹が生まれ、やはりコマドリと仲良くなる。コマドリは、また同じことが起きるはずと思いながら、「もしかしてこの子だけはメアリーのように自分たちの話す言葉を忘れないかもしれない」と期待する。(そうなってほしくない、という思いの裏返しで、コマドリは必ず子どもたちに意地悪を言うのだが)。

私たちが日常的に話す言葉を話せるようになる前の子供たちは、私たちの理解できない不思議な言葉を話す。その様子を見ていると、風や鳥といった、自然界との会話もできているに違いないと信じられる。

メアリー・ポピンズの物語と、私たちの日常は地続きな部分もあり、さらにそこに「エコラリアス」の論考はリンクしているように思えるのだ。

  

人間の成長過程における言語の忘却の話とは別に、歴史的に見て消滅していく言語もある。本書ではその現象を「言語の死」と呼んでいる。

著者は「ある言語が本当に消滅したと、どうしたら確信できるのか、という解決できない恐れがある問題」について、さまざまな学者の説を引用し検証しようとしており、大変興味深い。ある言語の最後の話者をめぐり「言語の終焉」について語るジョゼフ・ヴァンドリエスの言葉には特に考えさせられた。

それにしても、コーンウォール語は彼女の死の瞬間に本当に死んだことになるのだろうか。老いたドリーはこの言葉を話すただ一人の人間だった。しかし、言葉を話すには少なくとも二人の人間が必要だ。コーンウォール語は、彼女に返答できる最後の人間がいなくなった日に消え去ったのだ。(p.76)

「話す」ことには相手が必要であるという、当たり前の事実についての不思議さを思う。本ブログにおける読書のセッションも、一人の感想戦ではなく、同じ本を読んだ誰かと対話することによって成り立っている。その対話から感じたことを書き記すことによって、それをさらに相手に伝える。読んでまた、対話していた時とは別のことを思うこともある。言葉は自分ではない誰かほかの人を通すとまた別の変化を遂げる。自分の思いも他の人の言葉にあてはめて変わっていく。変わっていくようではあるが、変わる前の思いもそこには含まれている。

言葉・言語は伝達のツールにすぎず、絶え間なく変化していき、時に「死」を迎えるように考えられているが、実は現在のわれわれに見えていないだけで、ひそかに記憶を内蔵し、とどめているのではないか。 

ある言語が別の言語に変化する時には、常にその残余があるが、誰もそれが何かを思い出すことはできない。言語の中には話し手よりも多くの記憶が残っていて、それは生き物より古い歴史の厚みの痕跡を示す地層に似ている。それは必然的に、言語が通ってきた幾つもの時代の跡を残している。ラルフ・ワルド・エマソンが書いているように、「言語は歴史のアーカイヴ」であるのなら、言語はその仕事を学芸員もカタログもなしに行っていることになる。(p.91)

情報には表層と深層があり、いま見えている部分だけではなく、奥底にまた別の有用なものがあるかもしれない。そうであるはずだ、と考えることは日々自分に課していることでもある。

しかし、「学芸員もカタログもなしに」アーカイブする歴史は、想像するだけでも混迷の極みだ。そのことは著者も認めている。

わたしたちが思っているよりも、ある言語はそれ以前に存在した幾つもの言語を留めていて、その響きが、弱まったとはいえ、現在の言語の中にも続いていると考えられなくはない。言語の地質学者たちは、精密な研究により、その地に元からあったり、または他の土地から来たりした言語を構成し分解する、複数の層を同定していると自負している。しかし、失われた時の探求は、記憶においてそうであるように言語においても困難であり、ある言語が通り抜けた複数の時代は、歴史家や考古学者の手に容易に負えるものではない。(p.101)

「言語の地質学」という言い方はすてきだ。言語というとらえどころのない目に見えないものが、地層に例えられることで一気にビジュアルとして浮かび上がるし、研究者自身がこつこつと石を掘り痕跡を探すような姿まで想像してしまう。

さらに著者は、言語そのものを「複数で密接な関係を持つ厚みの異なった層の移動=絶え間ない地滑り」として定義しようとしている。

このように、言語が消滅するというよりも、地滑りによって層の変化が起こり、表層に見えないようになる、という考え方の方が自分にはしっくりくる。地層のように考えていくと、忘れられてはいるが、ひっそりと今につながる土台となっていると考えることもできる。

 

一般的な忘却ということと、本書のテーマの「言語の忘却」は別のことだと分かっている。それでも、「忘却すること」そのこと自体を考えずにはいられない。

 それほど大切と思われることでなくても「忘却すること」に後ろめたさを感じてしまうのはなぜなのだろう。

全てのことを記憶にとどめておくことは困難だ。後世に残るよう、記録にすることもなかなか難しい。しかし、人は忘れてしまう。

 

でも、このようにも考えられる。忘れているだけなのだ。消えはしない。

 

本書を読んで、分かったこともあるし、ますます分からなくなったこともあるし、新たに疑問に感じてしまったこともある。

それでも楽しかった。

分からないことによって、照らされる自分を見つめるのは、愉快である。

セッション11

2019年は大著の積読解消ということになるみたいだ。 

440ページ。おそらく今までで一番長かった。

この本は1月からの宿題だったのに、結局2/3までしか読み終えないままセッションに臨んだ。(相棒は読み終えていた。さすがである)

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

さて、この本は2018年の神保町ブックストリートで出版社のワゴンセールで買ったものだ。ずっと読みたいと思っていたので、喜び勇んで買ったのだが、なぜセールになっていたのかといえば、ちょうど同じころに6刷が出来となっていたから。なるほど。

刊行してだいぶ時間が経過しているけれども、最近訪れたいくつかの書店では目立つところに一冊は置いてあった(探しているわけではないのに目に入るので、目立つところという認識)。持っている未読本を書店で見かけると嬉しくなるのはなぜなのだろう。 

 

原題が "A PARADISE BUILT IN HELL:The Extraordinary Communities That Arise in Disaster" 。これを「災害ユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」とした邦訳したのは秀逸だ。読み終えてあらためて思う。

かつての自分が「災害」を思うとき、それは関東大震災や、阪神淡路大震災東日本大震災などの大地震およびそれに付随して起こるものであった。

しかし今では、近年の九州や広島での水害、台風による停電被害なども経験し、ありとあらゆる自然災害がいつどこに起こってもおかしくないのだと思っている。

きっと、2010年に初めてこの本が出たときに読んでいたとしたら、今この時より全く違った読み方をしていた。フィクションを読むように読んでしまっていただろうと思う。

それというのも、ソルニットの書く文章は取り扱う内容のわりに読みやすいのだ。物事に対峙してそれを「伝える」ことへの姿勢が原文にも表れているのだろうと想像する。

とはいえ、440ページである。

セッションの後も読み続けていたが、最後の1/3パートが自分には結構重たくてスピードダウンしてしまった。読み終えて、こうして書くことができてよかった。

 

あなたは誰ですか?わたしは誰でしょう? (p.9)

この問いかけは、プロローグだけでなくエピローグにも登場する。

危機的な状況において、この点を確認することが生死を分ける場合もあるという。しかし、人が社会で生きていく以上、常に問いかけ続けている問題でもある。

 災害においては、「人間の本質」が問われるのだ。

 「人間の本質」という言葉は今では流行遅れになっている。この言葉に暗示されるのは、固定した性質、すなわち普遍的で安定した自己である。だが、もし世の中には文化や環境により形成された多くの"人間の本質"があり、一人一人の中にはそれが複数存在すると認めるなら、災害時に現れる"人間の本質"の大部分は、いつもの、または正常な我々の姿ではなく、単にそのような状況下での我々の姿を示している。<中略>

災害への反応は、部分的にはその人が誰であるかに左右される―たとえば、ジャーナリストには一般の人とは異なる義務があるーが、誰になるかもまた、その人が何を信じているかで大きく違ってくる。(pp.78-79)

 人間の本質、それは普遍的なことではなくて、一人の中に複数内在しており、状況によって表出されるものが変わる、というのは理解できる。

であるからこそ、「あなたは誰で、そしてわたしは誰か」という問いが出てくるのだと思う。見えてくる"本質"は、時には思いもかけないような、受け容れがたいものであるかもしれない。災害時には特にさまざまな“本質”が表れてくる。

本書で、著者はいくつかの災害の事例を取材し、また、それらをつなぐ先人たちの哲学や思想を紹介し、「災害ユートピア」について考察している。

 

人々は災害に遭った後、または目撃した後に、強いショックを受けると同時に「何か自分にできることをしなくては」という気持ちになる。相互扶助、利他主義。そうした意識が働く。そうした時によく言われるのは、災害時だけでなく「いつもすればいいのに」。

その疑問に対するソルニットの答えはこうである。

 1989年の大地震に続く数週間には、愛と友情がとても大切で、長年の心配事や長期的プランは完全に意味を失っていた。人生は今現在のその場に据えられ、本質的に重要でない多くの事柄はすべてそぎ落とされた。(p.16)

災害時には、人々は長期的ビジョンに立たないからだ (p.48)。

 

そう、その時は「今ここ」なのだ。

ソルニットはまた、災害発生後の「エリートパニック」について、災害学の学者の間で使用されている権力者たちが恐怖にかられて行う過剰反応のこととし、具体的な例を挙げて説明している。

災害により立場や生活がひっくり返されてしまい、不安な中で貧困層や白人以外の住民が混乱に乗じて犯罪を繰り返しているという「妄想」噂を信じてしまい、拡散していく。

 

8年前の東日本大震災の後、得られる情報が少ない中で、誰もが「情報拡散」を行っていた。デマや間違った情報もたくさんあったと思うが、「必要な人に届けばいい」という祈りのようなものがあったように思う。

日本ですら、被災地での強奪や詐欺などの犯罪の話(噂話と思うが)はあり、あっという間に広まっていった。あれも、パニックだったに違いない。

 

セッションのときにも、本の内容とは別に、どうしても自分たちが「8年前」体験したことについての話になった。

その時に話したのは、自分は「以前」「以後」という分け方で時代を区切って考えるようになったということだった。

メキシコシティで組合を立ち上げたお針子のひとりが、息子に言われた言葉は、その当時の自分のことを言われているように思った。

『ママ、地面が揺れてから、ママの中は揺れ続けているんだね』(p.192) 

また、この本でのニューオリンズの例が9.11のマンハッタンとは違う傷を負ったことについて、「土地の人が変わらない生活を送ってきたこと」が挙げられていた。

毎日が変わらなく続くと信じていたときの災害。そのことの打撃は、実際の被害以上に人々を傷つけたのではないか。

 

私の場合は、その日を境に生活が物理的に一変したわけではない。しかし、発災前の自分に戻ることはもう二度とできないし、どういう風に感じていたかとか、考えていたかということも確認できない、以前の自分とは変わってしまったと、強く思ったのを覚えている。

 

もう一つ、この本を読んで感じたのは、「本だからまだ内容を受けとめられる」ということだった。

書かれている内容によっては、凄惨な災害の描写もあって、これが映像だったら自分にはとても目を向けることはできなかった。

写真や映像は、実物以上の力で迫ってくることがある。否応なしに目の中に飛び込んでくるものは、時に冷静な視点や思考力を奪う。文字だから、読めた。そのことについて、語ることもできた。

そう考えてみて、もしかしたら、8年が経った今でも、体験者であるほとんどの人びとが、東日本大震災について、充分に互いに語り合えていないのではないかという気もした。

メディアが仕立てた振り返りの映像。取材の上で選ばれたインタビュー上の語り。

次世代に継承するための記録としての体験談。

でも、そうした誰かのフィルターを通した体験ではなくて、もっと互いに直接話してみることが必要だと思う。

何年経っても、語り合うこと。対個人として、耳を傾けること。

 

あの時はここにいた。

その後、誰とどうした。

数週間はどうだった。

やがてこうなっていった。

そんなことどもを。

 

それは今後の教訓としてというよりは、誰もが社会の中で生きていく中で、発し続ける疑問の答えのひとつにつながると思うから。

 

あなたは誰ですか?私は誰でしょう?

そして、ここで語り合っている私たちの生きる世界を、どうしていけるでしょう?

 

 

 

 

「のんき」と輪郭

少し前のことだが、数年越しの念願がかなって、東京にある書店Tに行った。

こじんまりとしていながらカフェとギャラリーが併設されていて、それでいて本棚は自分の思う「完ぺきな」状態だった。

そこには宇宙があった。

どの本も読まれたがっているように思え、自分が読みたかった本だという思いが生まれるような。興味あることも知らないことも混ぜこぜで、しかしちゃんと目に入ってくる。

この書店が素晴らしいのは、インターネットや知人や新聞など、色々なところから知って「読みたい」と思っていた本の実物が、ひとつ残らず「あった」ことだ。

実物を見て結果買わなかったものもあったが、代わりにその近くにあった本が気になったり、平積みに目を走らせている最中に「あ、これ買おうと思ってたんだった」という本が目に入る。手に取って見ることのできる重要性を感じる。

 「本と出会う」場としての書店が話題になっているけれども、本当に出会うべき本が目に飛び込んでくるには、見る側にもある程度「慣れ」が必要だ。しかし今回訪れた書店はそうした訓練は必要がない気がした。主張があるわけではない。ただ、訪れた人が求める宇宙がちゃんとある。別格だと感じる。

 

そんな「完ぺきな書店」で買った数冊の中に、いま自分が出会うべき本があった。

ガケ書房の頃

ガケ書房の頃

 

いわゆる新刊ではなく、何度も他の書店で見かけて知っていた本である。ただ、この日は背表紙が「光って」見えた(棚に差さっていた)。

2018年秋、本書に所収されているエピソードを元にした絵本が刊行された。その際に、元の文章がウェブで無料公開されたので読んでいたが、とても面白かった。背表紙が光った瞬間、そうしたことも思い出された。

 人前で話さないというのは、自分も近い経験をしているのでよく理解できる。幼稚園で「劇の主役をやりたい人?」とせんせいに言われたとき、一人だけ絶対に手を挙げないような子どもだった。しかしそのせいで、なぜか主役になってしまったということがある(人生最初に感じた理不尽)。

 

ガケ書房の頃』は、そんな「普通の子どもと違う生き方をしてきた」著者の自伝である。大学受験に失敗して家出、さまざまな職業を経験した紆余曲折ののち、「自分が一生やる仕事」として始めた新刊書店が「ガケ書房」だ。

回り道をしながら自分の本当にやりたいことを探していく著者の姿に、この先どこに行きつくのか分からないと感じている自分を重ね合わせていた。本に関する色々な想いに共感しつつ、主人公である著者とともにこの本の中に流れる時を過ごした。それは、日常から浮遊できる、とても幸せな時間だった。

ガケ書房でよく売れる本の傾向は、生き方を照らしてくれるような本だ。

<中略>

僕はその出会いを提供するために、入口をたくさん作る。普段のなにげない日常生活の寄り道となる入口。それは、僕が子どものころにこま書房で夢中になった、違う世界への扉だ。(p.155)

書店や図書館は、世界の入口だということは、よく言われるし、自分もそう実感しているひとりである。未知の世界が本としてそこに存在し、文字通りその「扉」を開くも開かないも自由だ。

店はお客さんを選ぶことはできないが、お客さんは店を選ぶ。比べたりもする。ブランド戦略で結果的にお客さんを<セレクト>している店もあるが、僕は欲張りなのであらゆる人に来てもらい、楽しんでもらいたい。万人に受ける品揃えの店という意味ではない。いってみれば、店内に入ったら童心とまでいかなくとも、地位や立場や見栄を一時的にでも忘れて、気持ちを解放できるような店。

<中略>

かっこよく言えば、確認と発見と解放を棚に並べておきたい。(p.156)

「確認と発見と解放を棚に並べる」とは、なんと的確な言葉だろうか。自分が感じていたことを、こんなにぴったりとした言葉にできるのかと驚いたし、嬉しかった。書店での購買行為を「確認の買い物」と「発見の買い物」と区分けしていることも面白い。

 

いいものに触れるといいものを作りたくなる。いい文章、いい映画、いい音楽、いい絵、いい漫画、いい人、いい店。自分にできるとかできないとか関係なく、いいものを作りたいという輪郭が生まれる。(p.160)

 「文化」というものの及ぼす作用を端的に表したいい言葉だなと思う。いいものに触れてできた「輪郭」が、ぼやっとできてきたとき、その輪郭について取り急ぎ誰かに語ることは大切だと思う。本や映画の、批評じゃなく感じたことを。音楽を聴いて思ったことを。いい人に会った感動を、誰かに伝えること。そうすることで「輪郭」は、どんどん濃くなる気がする。

 

本屋で買った本は、全部お土産だ。(p.237)

世界への扉を自分のものとして持ち帰ることができるとは、本とは不思議なものである。時には「なぜこれを買ったのかな」と思うこともあるが、「お土産」だと思えば納得もできる。そのときに感じた何かや、空気を持ち帰りたいと思ったのだろうから。

 

ガケ書房でのライブイベントのエピソードの中で、小沢健二氏の登場する部分は特に印象的である。

頑なに目の前の日常を死守することだけに懸命な僕の姿勢や発言を、小沢さんは、世界的に見たらそれはのんきな姿勢に映るけれども、そののんきさが実はいいんじゃないか、山を登ったり川を眺めたり散歩したり、それぞれの日常を全うすることが大事なんじゃないかなと話した。(p.228)

 「オザケン」は自分にとって特別なアーティストの一人であるが、そうしたことをさておいても、著者の「苦しかった時期」に救いとなったに違いないと信じられる。彼が発したという「のんき」というキーワードは、些細な日常のことでさえ右往左往してうまくいかない自分に対しても「それもいい」と許してくれる気がして、救われた。

 

読書という誤解され続ける行為のハードルを下げるプレゼンテーション(p.282)

このことについては、自分もずっと考えている。

本が世界への扉であり、その本がある場所は宇宙である、そうしたことを、体感できる者が、どうにかして伝えないといけないことなのではないかと。

 

本文を読み終えてぱらぱらと本書をめくり、織り込まれているカラー写真を眺める。これらの写真があまりにも「あの頃」感を醸しだしている。最初は「本当にもう存在しないんだな」と残念な気持ちで見ていたが、やがて行ったことがないのに「懐かしい」という気持ちへと変化していった。いい写真だと思う。

 

この本を読んで、自分のなかにも「何かいいものを作りたい」という輪郭が生まれたのは確かだ。その中身は、まだぼやっとしたり、はっきりして見えたり、不安定なようだが、いつか何かいいものを作りたい。

そして、それは苦しさを覚えるほど頑張った上でのことではなく、「のんき」に見える日常を送っているうちに「いつの間にか」見えてくるものだといい。

そんな風に思っている。 

 

 

セッション10

2019年のセッションは、課題本なしのスタート。

正確にいうと、課題図書は決まっていたのだけれど、互いに年明け早々いろいろと立て込んでしまい、読む時間が取れなかったので翌月に持ち越したのである。

それで、課題本以外で気になったトピックを披露しあうことにした。自分は雑誌をいくつか読んで、印象的だった記事について考えを述べたがそれについてはおいておく。

 

本を読む時間が取れないとき、雑誌を斜め読みすることで、新たな発見をもとめ、活字欲を満たしていたようなところはある。 

病院の診療室や、友人の部屋で手持無沙汰な時など、置いてある雑誌を何気なく手に取ることは誰にでもあるだろう。本よりも気軽な暇つぶし。さりげない存在。

インターネットの情報は常に入ってくるが、自分の中に取り込んで咀嚼するようなものというと、それほどない。「きっと誰かに必要」という判断でSNSで外に向けてシェアしていく、という面のほうが自分の場合は多い。

 

BRUTUS(ブルータス) 2019年 1月15日号 No.884 [危険な読書]

BRUTUS(ブルータス) 2019年 1月15日号 No.884 [危険な読書]

 

 「危険な読書」は年始にBRUTUSが組む特集で、2017年から数えて3回目である。前の2回もきっと読んではいたのだろうけど仕事の延長のような感じだったに違いない。あまり覚えていない。今回は目当ての記事が2つほどあったので、楽しみにして買った。

 

目当ての記事は、以前セッションで取り上げた『文字の食卓』著者の正木香子氏と書体デザイナー鈴木功氏の「書体敏感肌」とう書体についての対談、それに「2018年の本」として選んでいた『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』の著者・花田菜々子氏と編集者高石智一氏の対談の2つ。

 

mi-na-mo.hatenadiary.jp

mi-na-mo.hatenadiary.jp

 

どちらも、読んだ本のその後日譚という感じで「そうそう」と楽しく読んだ。

そこで終わらないのが雑誌の面白いところで、ぱらっとめくると色鮮やかなページや、人びとの写真や、小さな書影が目に入ってくる。

特集とは全然関係のないコラムの連載や宣伝ページまで、本という特集内容に合わせている(ような感じである)。

商品情報やおすすめ映画の情報ページは、おそらく本を読まない人が「おすすめ本」のコーナーを読むような感じで、「こうした世界もあるのか」という発見があって面白い。

インターネットでの情報収集が手軽になる以前、かつては、雑誌というメディアがもっと身近で、「情報通」と言われるには目を通していなくてはならないものだったと思う。

グルメに詳しい同級生は欠かさず週刊の情報誌をチェックしていたし、映画好きな友人は雑誌で現在上映している映画やかかっている映画館を確認していたものだ。

 

雑誌の魅力は、そうした情報の欠片がたくさんつまっていて、「自分が得たい情報」以外にも、自然と目に飛び込んでくる所だと思う。

ふと出会った情報は、後々大きな影響力をもつことも少なくない。

 しかし、雑誌の多くはターゲット層が絞られている。その人たちに向け、たくさんの雑多に見える欠片を組み合わせ、彼らが「心地よい」と感じるような色にさりげなく合わせていくのではと想像する。

 

雑誌につかわれている「雑」の字を見ると、思い出してしまうのが、和歌である。

和歌集の部立てに「雑の部」「雑部」と呼ぶ歌群がある。

雑歌(ぞうか)とは - コトバンク

 

学生時代は大量な「雑部」の和歌を目で追いながら、「その他もろもろ」の歌なんだと思っていた。

いまこうして年月を重ねてみると、萬葉集の時代から人々が「雑なこと」にこそ、生きる上で欠かせない「当たり前」な部分をこめていたのではないかと感じる。

もちろん雑誌は和歌集とは異なるけれども、その「生きている」時代を、ときには少し先の未来を、人々の意識に映そうとしてきたことは間違いない。

 

やがて、このままでは情報メディアとしての雑誌はインターネットにのみこまれるだろう。

そうすると「雑なこと」という意識もなくなってしまうのではないだろうか。

 

雑多なおしゃべりは楽しい。

雑貨を集めるのも楽しい。

 

性格は雑である。

 

雑なことが好きなようだ。

 

この文章も雑に終わることにする。