よむあかり
本を読むためのデスクライトを探していた。
今の部屋には手元を照らす灯りはなくて、通常の部屋の電灯では手元が暗くなる。
自分にとっては道具という観点とインテリアのひとつという観点の両方から考えたい。そうそう買い替えるものでもないし。
数々の電気量販店へ行き、インターネットで検索しては悶々としていた。
なんとなく二択まで絞ったところで、この本に出合う。
灯りという言葉があらわすものは、まず第一に読書です。すくなくともわたしにとっては、ずっとそうでした。
本を読む自由が灯りのイメージと分かちがたいのは、子どものときにようやく本を読むということの魅力を知ったのが、すなわち灯りの下で夜の読書を覚えてからだったためです。(p.41)
長田は、夏目漱石の漢詩なども引きながら、夜の灯りの下に「自由」を見る。
「どこにもない言葉の世界への入り口」を探す。
このみじかい「ふみよむあかり」という文を読むと、夜と灯りと本、それらに照らさられる「自分」の存在を、感じずにはいられない。
「明かりをくれ!」という、「怖い話」がある。スペインの昔話である。
むかし、あるところに、貧乏なやもめ女がいました。女には、男の子ばかり、七人の子どもがいました。一家は、小屋を借りて住んでいましたが、家賃がはらえなくなったので、そこを追い出されてしまいました。
あてどなく彷徨い歩いた果てに、女と子どもたちは、とある小さな村へたどりつき、幽霊が出るという空き家を紹介される。
わたしどもには、失うものはなんにもありゃしません
そのあと、家の中はおそろしいほど静まり返りました。そして、どこからか、いかにも苦しそうなうめき声が聞こえてきました。よく耳をすませてみると、声は、「明かりをくれ!明かりをくれ!明かりをくれえ!」と、いっていました。
女は、いちばん年上の子に暖炉にある薪を一本渡して、こういう。
言われもしないのに、きょうだいたちは兄だけでなく、全員がその「だれか」に明かりを渡しに行くのである。「行っといで。だれだか知らないが、あんなに明かりがほしいといっている。だから、この枝を持っていっておやり。こわがるんじゃない。気持ちをしっかりもっていれば、なんにも悪いことは起こらないからね」