セッション16

 物心ついたときからずっと、図書館で夢を見てきたし、図書館に夢を見ていた。

 

自分の図書館の原体験は神奈川県の海辺の町である。

親が図書館に熱心に通う人だったので、2つの町の図書館を行き来していて、休みの日には必ず連れて行ってもらっていた。

そのうち一つは通っていた小学校の裏手にあり、グラウンドの周りの金網の破れたところから近道をして寄っていたこともある。

6歳下のきょうだいが生まれるとき、母は小学校の向かいにある産院に入院していた。学校の帰りに金網をくぐって図書館に寄り、本を借りて、会社帰りの父が迎えに来るまで産院の母の隣りで過ごしていた。

蔵書はそれほど多くなく、本も建物も古い図書館だったが、一般の閲覧室と子ども用の閲覧室を隔てて真ん中にカウンターがあり、カウンターの横に西部劇の酒場のような押すと両側に開く扉があって、家族を探しに行くときにそこを行き来するのがとても好きだったのを覚えている。

(ちなみに、長嶋有の『ぼくは落ち着きがない』という高校の図書部を題材にした小説があるが、その図書館にもこの「西部劇」扉は出てくる)

今回の課題本は、読んでいるうちにそんなことが次々と思い出されてくるような本だった。

夢見る帝国図書館

夢見る帝国図書館

 

図書館、特に公共図書館との付き合いは長い。

そういうわけで多少なりとも図書館に一家言あるのだが、この作品の著者はとてもよく図書館を理解していると感じた(偉そう)。

図書館の実情というよりは、図書館のスピリットについての理解とでもいおうか。

この物語の語り手は「物書き」の女性だが、実際の主人公は上野で出会った女性・喜和子さんと、上野の「帝国図書館」だ。

「ふん」

と彼女は鼻から音を出した。

「きれいになって、なんだか入りにくくなっちゃった」

「リニューアル前に行ってたんですか?」

「そうよ。あたしなんか、半分住んでたみたいなものなんですから」

急に丁寧語を使って威張るように鼻を上に向けた。(p.8-9)

「半分住んでいる」ような心持で、図書館に通う人たち。

不思議なもので、働いていると「住んでいる」とは思えないような気がする。

利用者として通っている方が「住んでいる」みたいな気持ちになるのではないか。

「喜和子さん、ほんとに本が好きなんですね」

「うん。読むっていうよりねえ、囲まれると安心するのよ」(p.17)

喜和子さんの図書館に対する発言には身に覚えのあることばかりで思わずニヤリとしてしまう。私もそうです、と手を挙げて言いたくなる。

あまり書くといわゆる「ネタバレ」になりそうだが、この作品は喜和子さんが生きる現代と作中物語である「夢見る帝国図書館」の部分が交互にリレーしていく構成になっている。

「夢見る帝国図書館」の部分には上野の図書館の歴史が書かれており、これがまた面白い。

「お金がない。お金がもらえない。書棚が買えない。蔵書が置けない。図書館の歴史はね、金欠の歴史と言っても過言ではないわね」(p.39)

笑ってはいけないが、思わず苦笑してしまう部分である。

100年が経っても、図書館の人たちは同じことを言って憂えている気がする。

図書館は、食べ盛りの男の子が食い物を欲しがるがごとく、常に書庫を欲しがる。(p.83)

ここも、うまい。擬人化の妙。

 

「夢見る~」パートで登場する当時の文豪たちや「理想の図書館づくり」に奔走する図書館関係者のエピソードは、多少コミカルに描かれてはいるものの、図書館の持つ様々な機能や役割を多角的に理解することを助けている。

文豪たちが憧れ、日参し、使い倒した図書館の様子を思い浮かべるのは楽しい。

「ハコもの」と言われようと図書館はやはり建物も大切なのだとも思う。

そうした人々を見守るように、図書館が擬人化されて描かれていることも、文字通り図書館が主人公となっているようでとても面白い。

戦争は各地で様々なものを惜しみなく奪う。

帝国図書館は、図書館なので、書物を奪った。(p.303)

この物語で時折みられる、簡潔でいて核心をつく文章がとても好きだ。

戦争は惜しみなく奪う。そうだ、と思わされる。

かわいそうなぞう」という絵本にもなった戦中の動物園の「猛獣処分」のエピソードも、ゾウのジョンの口を借りて、本当に恐ろしい戦争の空気を伝えている。

「いいかい、花子。奴らが俺たちを殺すのは、俺たちが危険だからじゃない。奴らが戦争をしたいからだ。戦争をする心を子どもたちに植え付けるためなんだよ」(p.321)

「よく分からない」というゾウの仲間の花子に対して、ジョンが放つ一言は今の我々にも無関係とは思えず、痛いところにぐっさりと刺さる。

 

こう書くと歴史的な記載ばかりのようだが、そうではない。語り手である「わたし」と喜和子さんの生きる時代の時間軸も進んでいく。謎解きの要素もあるので、情報量が多くてもずんずん読み進めることができる。

謎が解けた最後のエンディングの部分は「図書館で夢を見ていた」ものとして、思わず涙ぐんでしまった。

図書館との距離は以前ほど近くないけれど、図書館という存在に夢を見たい気持ちはまだある。 今度上野に行くことがあれば、喜和子さんのように古の図書館を思いながら、界隈を散策してみたい。

これからの図書館の夢を見ながら。

できれば、気の置けない誰かにその夢を語りながら。