すすめられるままに読む
とある場所での自己表現を止めた。
発信を止めてみたら、久しぶりの友人知人から別経由でメッセージやら電話が続いた。某所での発信も見ていたはずの人たちなのだが、「何?どうした?」でもなく、「どうしてるかと思って」と、やりとりしてくれるのがよい。
そのうちの一人は読書家で、20代の頃からよく私に本を勧めてくれる人だった。
日常の延長として本を勧めてくれる友人は少なく、相棒に出会うまではふたりしかいなかった。思えば、ふたりとも人生のそれぞれの局面で私の考え方を支えてくれてもいて、とても信頼している。
さて、その友人はメッセージで「今読んでいる本」を感想付きで送ってくれる。
「一気に読むには重たいけど、ぜひ読んでほしい」と言われたのは大竹昭子による須賀敦子論。
須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京 (文春文庫)
- 作者: 大竹昭子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2018/03/09
- メディア: 文庫
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「文庫なのに高いから貸してあげる」と言われたが、他県にいて会うきっかけもないだろうし手間をかけるのも、と思って買ってしまった。
しかし、「貸す」というところにその友人の本当の意味があったかもしれないと、あとで気付いた。(本の貸し借りにまつわることについては、また別の機会に書きたいと思う。)
次に「今読んでる」と送ってきたのは短歌と俳句の本で、「俳句やりたい」というコメントが付いていた。
私自身は短歌が好きで、大学では研究して論文も書いたが、自分で詠んだことは一度もない。友人は「短歌似合う。やってよ」と言う。
その人の、こともなげに「やればいいじゃん」というところに乗せられて、結果的にいつも救われてきたな、と思いだす。(でも短歌は今のところ作らない予定。)
このことで、種村弘が17年ぶりに出した歌集のことを思い出して、書店巡回の際に購入した。
書評などで知っていたが、なるほど、言われていたように確かに現在と過去とを行き来する作品。
歌そのものが独立してそれぞれに魅力的な物語があるのだが、かたまりから群となることによって、過去と現在を行き来する構成が活きている。
どれも楽しく懐かしい。
歌集というのは、本そのものの装丁も特に美しく、読んで楽しむことにくわえて、所有する喜びが味わえる。
そういえば、セッションで引用文を読み上げるということはやってはいるものの、短歌や俳句を読みあうとか解釈する機会はなかった。
そういうことも、いつかどこかでできたらいいと思う。