物語の重なり
朝礼の時。立ち上がった隣席の同僚から何かが落ちた。
葉っぱのようだった。
ただどこかでくっついたものが落ちたようには思えず、声をかけると、驚いて「下の子がくれた四葉のクローバーだ」という。
ポケットに入れているうちに押し花のようになって、それがはらりと落ちたのだった。
瞬間的に、私の心は野原にとんで、そこでクローバーをつみ、母に差し出す子の姿が浮かんで、また瞬間的にオフィスに戻ってきた。
自分たちの部署は忙しい。
その人は母であることも、するべき職務をまっとうすることもあきらめない、しなやかで強い人である。
かといって周囲に強がりもせず、遠慮もせず、こちらも気遣いはするが気遅れも気疲れもしないですんでいる。尊敬しかない。
休憩時間にその人が何気なく話す子どもとの日常のエピソードを聴くことは、私にとって楽しみであるが、もしかしたらその人にとっても語ることは癒しなのかもしれないと思う。
また別の日。
上の子の学校で、子どもが書いた七夕の短冊を見る機会があったという。
3つの願いを書くことになっており、その1番目は、母の仕事がうまくいくようにと(きわめて具体的な業務の内容まで)書かれていたとのことで、驚いちゃって、と話してくれた。
淋しいときも多いと思うが、それが母にとって自分たちと同じように力を注いでいるということが伝わっていて、分からないながらうまくいってほしいと思ったのか。
聞いた私の胸までも打つ。
その子たちは私のことを知らない。
私はその子たちの物語を知っている。
その子たちの物語に私が登場することはおそらくないだろう。
それでも、その子たちの物語にとって一番重要な登場人物に、別の局面では深く関わっている。
見えない物語のなかで助け合っていくことで、別の物語を美しく楽しいものにしていけるのではないかと思うのだ。
たくさんの物語の重なりが世の中を作っている。
一枚の葉っぱから考えたこと。