空気感について
たまたま、人の本棚を見る機会があった。
誰かの本棚を見るのがとても好きで、まちなかの店舗に本棚があれば、頼んで写真を撮らせてもらったりもしている。
さて、その本棚の主の職業柄、想像の範疇であったが大量の「本の本」があった。
自分が読んだ本、読んでいない本、知っている本、知らない本、古典から既刊、新刊まで。なるほどなるほど、と目で楽しく追っているとき、一冊だけふと目の端に引っかかった背表紙。
レンガ色の表紙が灰色の函からのぞく独特の装幀。
私の数少ない蔵書にもあって、お気に入りの一冊なのだ。
買ったのはみすず書房のフェアだった。みすず書房の本はどれも丁寧に作られていて美しいが、気軽に何冊も購入できる類の価格ではない。なのに、これを見たときはまったく迷わなかった。
帯文をヴィム・ベンダースが書いていることと、本の佇まい、そして何より「空気感」というタイトルに惹かれた。今ほど本を買う習慣も金銭的な余裕もなかったのに、よくこの本を買ったとつくづくと思う。
帰宅して早速、自分の書棚から抜きだして再読した。
この本は、 建築家ペーター・ツムトアの講演録で、400人を超える聴衆を前に行なわれたという。講演で語られた言葉とともに、美しい建築の写真が配置される。
ペーター・ツムトアの建築とそれを取りまく環境のあいだには相互作用がある。与えあい、受け取りあう。交感がある。互いが豊かになる。(p.5)
「美との対話」と題された、ブリギッテ・ラープス=エーレルトの序文数行にすぐ反応してしまう。与えあうだけじゃなく、受け取りあうということ。それは豊かさにつながること。
ページをめくるたび、そこにあるツムトアの美学。それらをあらためて新鮮な気持ちで、驚きをもって受け取る自分がいた。
こういう、建物に物が入ってくるというイメージーそれらは私が建築家として作るわけではないけれども、私が思いをいたす対象ではあるわけです―を持つと、私の作った建物の、私とは関わりのない未来の姿をかいま見ることができる。(pp.37-39)
建築は空間芸術である、とはよく言われますが、しかし建築は時間芸術でもあります。(p/39)
そして実にいろいろな物があるのです。美しいオブジェ、美しい書物、すべて陳列されている。楽器がある、チェンバロ、バイオリン・・・・(中略)
そしてこんな問いが胸に湧いてきたのです。こうした事物を受け入れる器を造ることが建築の務めではなかったか、と。(p.35)
生きている限り未来のことはついて回る。
現在は瞬時に過去に変わり、自分は常に未来と向き合う方になっている。
このごろは、そうしたことについて絶えず考えている。
建築について人並みはずれて詳しいとか好きということはない。けれども「場」が人に及ぼす作用については知りたいと思っていて、その雰囲気とか空気感については考えてきたと思う。
ただ、今回読み直してみて、「建物に物が入ってくるというイメージ」だとか「時間芸術」であるということを深く意識していなかったと気付かされた。
時間について考えるとき、自分にとっては「過去に作られた建築物」であっても、作られた時は「未来の姿」があった。
当たり前のことだ。
でも、いつもは思考の外側に無意識に追いやられてしまっているのだなと感じる。
本好きなら、誰もが惹かれる本だとは思うし、どこの本棚にあってもおかしくないのかもしれない。それでも、この本棚でこの本を見つけたことをとても嬉しく思った。