パラで生きる

 

パラレル

パラレル

 

長嶋有という小説家を知ったのはこの作品だった。

もう15年ほど前なのか、と驚く。

当時は自分も若く、作品は面白いと思ったし感銘を受けたものの、この主人公周辺の諦めともいえる雰囲気にはまだピンとこなかった。

今読むとまた違った感想を抱くのではないか。

 

いくつかの時代と

いくつかの人の組み合わせ

それらが平行して行きつ戻りつを繰り返して

ストーリーは進む。

 

作中に「パラで走らせる」というセリフが出てくる。

 

それはちょっとけしからぬ感じで使われてはいるのだけど、一定の距離を保ちながら決して交わらない、でも同じように走るという「パラレル」というのはそれ以降ずっと印象に残っている言葉。

 

伴走とか、平行とか。

「寄り添う」では近すぎる。

 

人に対して、一定の距離を保とうとする癖は以前からあった。

年齢を重ねるにつれてその傾向はますます強くなっている気がする。

若いころはそれを「冷たい」とか「寂しい」と言われることもあったが、

この頃はそう言われなくなった。

 

『パラレル』の主人公は、時代を行ったり来たりしながら

成長していないように見えるのだが、

それでも物語に小さくはない進展がある。

 

パラレルに生きることは面白いことだと思う。